久しぶりに美術館を訪れた。「久しぶり」と言っても4日に芹沢介美術館と静岡県立美術館を訪れているのだが、昨年のペースに比べればかなり間隔は開いている。美術館やギャラリーでぶらぶらするのが好きで、それが高じて美大の通信課程に入学したのに、そのことで時間の制約が大きくなって好きなことが思うようにできなくなってしまった。尤も、似たようなパラドクスは生活のなかにいくらでもあるのだろう。パラドクスに振り回されてしまっては元も子もないのだろうが、ほんとうに大事なことをしっかりとつかんでさえおけば、ちょっとした葛藤や矛盾も面白い経験として受け容れることができる。
ところで、今日訪れたのは出光美術館だ。「花鳥の美」という収蔵品による企画展。既に何度も目にするものなのだが、たとえガラス越しにしか観ることができなくても、やはり本物を眺めるのは楽しいものだ。仁清は、初めてそれと知って見た頃はそれほど好きでもなかったが、何度も目にするうちに魅せられてくる。ただ華やかというのではないし、ただ精緻というのでもない。落語で言うところの「間」のようなものが心地よいのである。大作なのに威張った感じがしない、という意味での粋も感じる。世の中には、小物なのに妙に威張って「自己表現」などとたわけたことを抜かす野暮天が多いような気がする。勿論、仁清という人物を知るわけはないのだが、作ったものを見て、作った人に対する興味を喚起させたり、作った人に会ったような気にさせたりするというところに、その作品や作家の大きさがあるように思う。
ところで、今日訪れたのは出光美術館だ。「花鳥の美」という収蔵品による企画展。既に何度も目にするものなのだが、たとえガラス越しにしか観ることができなくても、やはり本物を眺めるのは楽しいものだ。仁清は、初めてそれと知って見た頃はそれほど好きでもなかったが、何度も目にするうちに魅せられてくる。ただ華やかというのではないし、ただ精緻というのでもない。落語で言うところの「間」のようなものが心地よいのである。大作なのに威張った感じがしない、という意味での粋も感じる。世の中には、小物なのに妙に威張って「自己表現」などとたわけたことを抜かす野暮天が多いような気がする。勿論、仁清という人物を知るわけはないのだが、作ったものを見て、作った人に対する興味を喚起させたり、作った人に会ったような気にさせたりするというところに、その作品や作家の大きさがあるように思う。