初めて仕事以外で静岡市を訪れた。先日の「工芸」のスクーリングで先生に薦められたのと、今日から企画展が始まるとのことだったので、ちょうど良い機会だと思ったのである。芹沢介美術館はもちろんのこと、芹沢という人のことも知らなかったのだが、作品を眺めてみれば、見覚えのあるものがいくつかあった。これまでは、染物への興味がそれほど強くなかったので、ひとつひとつの作品の作家名を意識していなかっただけで、けっこう頻繁に美術館の類に足を運んでいれば自然に目に入る高名な作家だった。
今年はどのような理由があるのか知らないが芹沢関連の企画展が多い。手元にあるチラシや案内状などの類だけを並べてみても以下の通りになる。
3月11日~7月18日 大阪日本民芸館 「民藝運動の作家達 芹沢介を中心として」
6月4日~8月28日 芹沢介美術館 「巨匠・芹沢介 作品でたどる88年の軌跡」
7月5日~9月4日 日本民藝館 「芹沢介と柳悦孝 染と織のしごと」
7月29日~9月5日 島根県立美術館 「宗廣コレクション 芹沢介」
同展は松涛美術館、岡崎市美術館、京都文化博物館へ巡回
このほか、柏市郷土資料展示室で実質的に常設に近い展示があるようだ。
今日始まったばかりの「巨匠・芹沢介」では作品が年代順に展示されているのだが、年代が後になるほど作風が明るくなっているように感じられる。こんなふうに或る作家の作品を年代順に並べると、それが造形作品であれ、文筆であれ、初期のもののほうが印象的であることが多い。落語家のDVDボックスを通して観たときにも、必ずしも「名人」と呼ばれるようになってからの芸が感心するものとは限らない。
しかし、芹沢の場合は、年齢を重ねる毎に作品に厚みが加わっているように感じられる。展示に添えられている年譜や説明を読み、それによって余計な先入観が入り込む所為なのかもしれないのだが、沖縄を訪れたことと、空襲で家財や作品を全て失ったことが大きな転機になっているような気がするのである。そのあたりの時代を経て何がどう変化したのかということは、私の拙い文章力ではいかんとも説明しがたいのだが、敢えて一言で表現すれば、霧が晴れたような感を受けるのである。それ以前とそれ以降で、どちらが良いとか悪いというようなことではない。何かが吹っ切れたというか、何かを見つけたというか、肝の据わり具合が大きく変わったのではないかと思われるのである。
とはいえ、どの作品もそれぞれに眺めていて嬉しくなるようなものばかりだ。初期の作品なら、会場に入ってすぐのところにあった「杓子菜文間仕切」、後期なら「竹波文着物」や「草花文着物」のようなものが好きだ。「鯛泳ぐ文着物」も面白い。売店で手拭を買おうと思って商品を眺めてみたのだが、いまひとつ購買欲をそそられるものが無い。むしろがっかりするようなもののほうが多い。そんなはずはないだろうと、並んでいるものをひっくり返してみながら探して、ようやくこれならと思える風呂敷と手拭を探し出した。他に客もいなかったので、売り場の係の人と少し話をしたのだが、近頃は手の込んだものを作る人がいなくなってしまったのだそうだ。私が選んだ風呂敷は在庫が残り数点で、それを売り切ってしまうと後の入荷はおそらくないだろうという。手拭のほうはこの美術館オリジナルのものなので、当面のところは大丈夫なようだ。
今年はどのような理由があるのか知らないが芹沢関連の企画展が多い。手元にあるチラシや案内状などの類だけを並べてみても以下の通りになる。
3月11日~7月18日 大阪日本民芸館 「民藝運動の作家達 芹沢介を中心として」
6月4日~8月28日 芹沢介美術館 「巨匠・芹沢介 作品でたどる88年の軌跡」
7月5日~9月4日 日本民藝館 「芹沢介と柳悦孝 染と織のしごと」
7月29日~9月5日 島根県立美術館 「宗廣コレクション 芹沢介」
同展は松涛美術館、岡崎市美術館、京都文化博物館へ巡回
このほか、柏市郷土資料展示室で実質的に常設に近い展示があるようだ。
今日始まったばかりの「巨匠・芹沢介」では作品が年代順に展示されているのだが、年代が後になるほど作風が明るくなっているように感じられる。こんなふうに或る作家の作品を年代順に並べると、それが造形作品であれ、文筆であれ、初期のもののほうが印象的であることが多い。落語家のDVDボックスを通して観たときにも、必ずしも「名人」と呼ばれるようになってからの芸が感心するものとは限らない。
しかし、芹沢の場合は、年齢を重ねる毎に作品に厚みが加わっているように感じられる。展示に添えられている年譜や説明を読み、それによって余計な先入観が入り込む所為なのかもしれないのだが、沖縄を訪れたことと、空襲で家財や作品を全て失ったことが大きな転機になっているような気がするのである。そのあたりの時代を経て何がどう変化したのかということは、私の拙い文章力ではいかんとも説明しがたいのだが、敢えて一言で表現すれば、霧が晴れたような感を受けるのである。それ以前とそれ以降で、どちらが良いとか悪いというようなことではない。何かが吹っ切れたというか、何かを見つけたというか、肝の据わり具合が大きく変わったのではないかと思われるのである。
とはいえ、どの作品もそれぞれに眺めていて嬉しくなるようなものばかりだ。初期の作品なら、会場に入ってすぐのところにあった「杓子菜文間仕切」、後期なら「竹波文着物」や「草花文着物」のようなものが好きだ。「鯛泳ぐ文着物」も面白い。売店で手拭を買おうと思って商品を眺めてみたのだが、いまひとつ購買欲をそそられるものが無い。むしろがっかりするようなもののほうが多い。そんなはずはないだろうと、並んでいるものをひっくり返してみながら探して、ようやくこれならと思える風呂敷と手拭を探し出した。他に客もいなかったので、売り場の係の人と少し話をしたのだが、近頃は手の込んだものを作る人がいなくなってしまったのだそうだ。私が選んだ風呂敷は在庫が残り数点で、それを売り切ってしまうと後の入荷はおそらくないだろうという。手拭のほうはこの美術館オリジナルのものなので、当面のところは大丈夫なようだ。