このところタクシーで帰宅する日が続いている。今の職場で働くようになって2年半になろうとしている。毎日タクシーを利用するわけではないのだが、タクシーのほうは客待ちをする場所をある程度決めているらしく、最近は「お客さん、3回目ですよ」などと声をかけられるようになった。こちらが記憶している場合もあるし、そうでない場合もある。運転手のほうの記憶違いという可能性もあるだろう。それでも、今週だけで「3回目」に2回遭遇した。単に同じ運転手にあたったというだけのことなのだが、そうやって声をかけられると、何故か親しい人に街でばったり出会ったかのような嬉しさを覚えるものだ。昨日というか今朝というか、乗ったタクシーの運転手も「3回目」で、互いの出身地の話題になった。その運転手の実家は岩手県の海に面した場所で、3月の地震で津波の被害に遭ったのだそうだ。しかし、そこは青森県に近い地域で、犠牲者はひとりもなかったという。自分とは全然関係ない相手なのに、その運転手のご両親を含め地域の人たちが無事であったことに、我が事のようにほっとした。「袖振り合うも多生(他生)の縁」などという。こういう出会いも縁なのだろう。街でふと出遭った人と気軽に会話ができるというのは、昔は当たり前のことであったはずなのではないだろうか。それが今は、自分から余程意識的に行動しない限り、そういう何気ない会話を気軽に交わす相手を持つことが容易ではない。普段、コーヒー豆を買う店や、陶芸の帰りに寄るカフェや、散歩がてら立ち寄るカフェなど、私が街で気軽に会話ができる場所や相手はまだまだ少ないのだが、なるべく自分からいろいろな場所に出かけて、そういう人や場所を少しでも多くしてきたいものである。