埼玉県立近代美術館で開催中の「エル・アナツイのアフリカ」を観てきた。アフリカのものを初めて意識したのは、昔、「芸術新潮」に坂田和實が連載していた「ひとりよがりのものさし」をまとめた単行本のなかでのこと。その本を手にしたのはロンドンで暮らしていた頃のことなので、たかだか3年程度前のことだ。それに触発されたというわけでもないのだが、パリに遊びに出かけた折にケ・ブランリーに立ち寄り、さんざん街中を歩き回った後だったので少し頭痛がするくらいに消耗していたのだが、少なくとも頭痛が消える程度には興奮した。但し、そこにあったものが気に入ったというのではない。素朴に面白かったのである。灯台下暗し、というほど近くはないのだが、3月に訪れた大阪の国立民族学博物館はケ・ブランリーよりも面白かった。もともと高校生の頃に「知的生産の技術」を読んで以来、筆者の梅棹忠夫という人に憧憬にも似た関心を抱いていたので、彼の民族学者としての作品と呼んでも過言ではないと思われる民族学博物館を訪れて、憧憬はいよいよ強くなった。大阪に頻繁に足を運ぶことなどできるはずもないのに、民族学博物館の友の会にも入ってしまった。
今日訪れた「エル・アナツイのアフリカ」は、その国立民族学博物館を起点に日本国内を巡回している。民族学博物館での会期は2010年9月16日から12月7日までで、神奈川県立近代美術館葉山、鶴岡アートフォーラムを経て、今月2日から埼玉に来ている。本展はこの埼玉会場がトリだ。アナツイの作品を展示するには、少し天井が低いような気がしないわけでもないのだが、自分の郷土の公立美術館にこうした企画展が巡回してくるというのは結構なことだと思う。
さて、展覧会の主であるエル・アナツイだが、彼はガーナに生まれ、現在は主にナイジェリアで活動している。生活している当事者の事情とは殆ど無関係に国境が画定されたアフリカにおいて、どの国の国民であるということがどれほど意味のあることなのか知らないが、彼自身も「ガーナ人」でるとか「ナイジェリアの住人」であるということには、それほど意識を置いていないような印象を受ける。アフリカの場合、文化の単位としては国よりも部族なのだろう。「国」とか「国民」という概念は、「日本人」である我々が考えるほど普遍的なものではないので、その扱いには要注意だ。
今回の展覧会では、アナツイの1980年代の作品からヴェネツィア・ヴィエンナーレを飾った大規模なものや最近のものまでが並ぶ。彼は廃材を使った作品、特に缶や酒類の壜の蓋の部分に使われている金属を材料にした作品を数多く手がけている。金属材料は同じ大きさ形の短冊状のものなどに加工され、それらを針金でつなぎあわせて帯状や板状のパーツとなり、そのパーツを組み合わせて作品が作られるのである。材料の加工工程は細分化されて単純化され、それぞれをひとりひとりのスタッフが担当する。彼が抱えている助手は20名。作業は各スタッフ毎に完結し、スタッフ間の連携はなさそうだ。アナツイは廃品業者と交渉して材料となる廃材を仕入れたり、作品の構想を練ったり、作品制作現場で指示を出したりする役回りで、彼が直接に手を汚すわけではないかのように見える。スタッフはそれぞれが決められたことを決められた通りにすることが賃金につながり、作品全体に対する関心はそれほどないらしい。
作品と簡単な資料を観ただけで軽率に結論を出すわけにはいかないが、美術とか芸術といった曖昧模糊としたもの以前に、ものをつくるということに対する個人の姿勢が、文化のなかで違った意味合いを持っているように感じられた。敢えて単純化してしまえば、日本のものづくりというのは共同作業であり、分業がなされていても、全体と個との関係性が比較的明瞭であるのに対し、アナツイのそれは、階級社会的に各工程が分断されていて相互の関係を理解しているのはアナツイだけという印象である。しかし、映像資料のなかでアナツイはこう語っている。
「私が興味を持っているのは作品を作ることや作品そのものではなく、作品によってひとがつながることだ。」
この「ひと」のなかにスタッフも含まれているのか、下働きの単純作業に従事するひとたちは「ひと」ではないのか、というところまではわからない。「ひと」とか「people」とは何者なのか、というのも、おそらく文化のなかで違うはずだ。「ものをつくる」ということはどういうことなのか、「ひと」とは何者なのか、物理的存在としては同一のものが、心象あるいは文化のなかでは同一にはならないということなのである。もっと言えば、同じ文化のなかにあっても、「もの」や「ひと」はひとによって違ったように受け取られているということでもある。
酒類のボトルのキャップに使われている金属を使って作られた巨大なカーテンのようなものを見て、小学生の頃の夏休みの工作の宿題を思い出した。2学期が始まってしばらくの間、教室の後ろのロッカーの上に様々な作品が並んだものである。学年が上がるに従って、バルサ材を使った精巧なものが現れるようになるのだが、今から思い返してみればそういうものは面白くない。ヤクルトのボトルをつないで作ったロケットとか、ゴミとして捨てられてしまうようなものを素材にしたものが、今でも妙に印象に残っていたりする。
展覧会場では「叩く・ぶつける・折り曲げる エル・アナツイの芸術」という90分ほどのドキュメンタリーが上映されていた。そのなかでアナツイが語っていたことで特徴的だと感じたのは、モノそのものに対する執着の薄さだった。例えば、彼が生まれ故郷のガーナではなく、ナイジェリアを現在の生活拠点にしていることに触れて、「home」というのは物理的なものではなく、心の中にあるものだ、というような趣旨の発言をしている。また、作品の制作に使う材料について、「安価な材料は発想を自由にする。高価な材料を使うと作品が小さくなる」というようなことを言っている。物理的なものよりも、それを媒介として広がる世界のほうに目が向いていると感じられた。それは、おそらくアナツイ個人の感覚というよりも、アフリカという場所の歴史や文化に根ざした感覚ではなかろうか。人は、自分の世界観が誰もが共有できる普遍性を持ったものだとの前提に立って物事を考える傾向があるように思う。実際にはそうでないからこそ、人と人との間、組織と組織との間、社会と社会との間、文化と文化との間、あらゆる集団の単位間において軋轢が生じるのである。容易なことではないのだが、自分が見ている世界と他人が見ているそれとは必ずしも同じではないということは、常日頃から意識したいものである。絶対的なものを己の思考のなかに抱え込めば、それは必ず他者との紛争の種になる。紛争の当事者は、どのような結果になったとしても、その紛争からは何も得ることはできないものである。作品のなかに見え隠れする作者の価値観、作品について作者が語る言葉、そうしたものが、作者が属する文化とは違った環境に置かれたときに発するものの大きさを改めて感じる展覧会だった。
今日訪れた「エル・アナツイのアフリカ」は、その国立民族学博物館を起点に日本国内を巡回している。民族学博物館での会期は2010年9月16日から12月7日までで、神奈川県立近代美術館葉山、鶴岡アートフォーラムを経て、今月2日から埼玉に来ている。本展はこの埼玉会場がトリだ。アナツイの作品を展示するには、少し天井が低いような気がしないわけでもないのだが、自分の郷土の公立美術館にこうした企画展が巡回してくるというのは結構なことだと思う。
さて、展覧会の主であるエル・アナツイだが、彼はガーナに生まれ、現在は主にナイジェリアで活動している。生活している当事者の事情とは殆ど無関係に国境が画定されたアフリカにおいて、どの国の国民であるということがどれほど意味のあることなのか知らないが、彼自身も「ガーナ人」でるとか「ナイジェリアの住人」であるということには、それほど意識を置いていないような印象を受ける。アフリカの場合、文化の単位としては国よりも部族なのだろう。「国」とか「国民」という概念は、「日本人」である我々が考えるほど普遍的なものではないので、その扱いには要注意だ。
今回の展覧会では、アナツイの1980年代の作品からヴェネツィア・ヴィエンナーレを飾った大規模なものや最近のものまでが並ぶ。彼は廃材を使った作品、特に缶や酒類の壜の蓋の部分に使われている金属を材料にした作品を数多く手がけている。金属材料は同じ大きさ形の短冊状のものなどに加工され、それらを針金でつなぎあわせて帯状や板状のパーツとなり、そのパーツを組み合わせて作品が作られるのである。材料の加工工程は細分化されて単純化され、それぞれをひとりひとりのスタッフが担当する。彼が抱えている助手は20名。作業は各スタッフ毎に完結し、スタッフ間の連携はなさそうだ。アナツイは廃品業者と交渉して材料となる廃材を仕入れたり、作品の構想を練ったり、作品制作現場で指示を出したりする役回りで、彼が直接に手を汚すわけではないかのように見える。スタッフはそれぞれが決められたことを決められた通りにすることが賃金につながり、作品全体に対する関心はそれほどないらしい。
作品と簡単な資料を観ただけで軽率に結論を出すわけにはいかないが、美術とか芸術といった曖昧模糊としたもの以前に、ものをつくるということに対する個人の姿勢が、文化のなかで違った意味合いを持っているように感じられた。敢えて単純化してしまえば、日本のものづくりというのは共同作業であり、分業がなされていても、全体と個との関係性が比較的明瞭であるのに対し、アナツイのそれは、階級社会的に各工程が分断されていて相互の関係を理解しているのはアナツイだけという印象である。しかし、映像資料のなかでアナツイはこう語っている。
「私が興味を持っているのは作品を作ることや作品そのものではなく、作品によってひとがつながることだ。」
この「ひと」のなかにスタッフも含まれているのか、下働きの単純作業に従事するひとたちは「ひと」ではないのか、というところまではわからない。「ひと」とか「people」とは何者なのか、というのも、おそらく文化のなかで違うはずだ。「ものをつくる」ということはどういうことなのか、「ひと」とは何者なのか、物理的存在としては同一のものが、心象あるいは文化のなかでは同一にはならないということなのである。もっと言えば、同じ文化のなかにあっても、「もの」や「ひと」はひとによって違ったように受け取られているということでもある。
酒類のボトルのキャップに使われている金属を使って作られた巨大なカーテンのようなものを見て、小学生の頃の夏休みの工作の宿題を思い出した。2学期が始まってしばらくの間、教室の後ろのロッカーの上に様々な作品が並んだものである。学年が上がるに従って、バルサ材を使った精巧なものが現れるようになるのだが、今から思い返してみればそういうものは面白くない。ヤクルトのボトルをつないで作ったロケットとか、ゴミとして捨てられてしまうようなものを素材にしたものが、今でも妙に印象に残っていたりする。
展覧会場では「叩く・ぶつける・折り曲げる エル・アナツイの芸術」という90分ほどのドキュメンタリーが上映されていた。そのなかでアナツイが語っていたことで特徴的だと感じたのは、モノそのものに対する執着の薄さだった。例えば、彼が生まれ故郷のガーナではなく、ナイジェリアを現在の生活拠点にしていることに触れて、「home」というのは物理的なものではなく、心の中にあるものだ、というような趣旨の発言をしている。また、作品の制作に使う材料について、「安価な材料は発想を自由にする。高価な材料を使うと作品が小さくなる」というようなことを言っている。物理的なものよりも、それを媒介として広がる世界のほうに目が向いていると感じられた。それは、おそらくアナツイ個人の感覚というよりも、アフリカという場所の歴史や文化に根ざした感覚ではなかろうか。人は、自分の世界観が誰もが共有できる普遍性を持ったものだとの前提に立って物事を考える傾向があるように思う。実際にはそうでないからこそ、人と人との間、組織と組織との間、社会と社会との間、文化と文化との間、あらゆる集団の単位間において軋轢が生じるのである。容易なことではないのだが、自分が見ている世界と他人が見ているそれとは必ずしも同じではないということは、常日頃から意識したいものである。絶対的なものを己の思考のなかに抱え込めば、それは必ず他者との紛争の種になる。紛争の当事者は、どのような結果になったとしても、その紛争からは何も得ることはできないものである。作品のなかに見え隠れする作者の価値観、作品について作者が語る言葉、そうしたものが、作者が属する文化とは違った環境に置かれたときに発するものの大きさを改めて感じる展覧会だった。