暑かった。10月とは思えないほど暑かった。尤も、まだ2日だけど。それでも今年も法隆寺を訪れた。昨年はJR法隆寺駅から徒歩だったが、今年は駅前からバスに乗って門前まで行った。昨年は法隆寺と中宮寺だけを参詣して法隆寺前からバスで薬師寺・唐招提寺という経路だったが、今年は中宮寺を後にして、徒歩で法輪寺、さらには法起寺と参り、法起寺からバスで近鉄郡山駅に出て、電車で西大寺へという経路である。
法隆寺の魅力は、百済観音であるとか釈迦三尊像というような個別のことではなく、伽藍全体の雰囲気にある。今は中門が改修工事で足場で覆われていて、昨年参詣したときに感じた伽藍の別世界感が失われてしまっていたので、そのことで改めて伽藍の配置や構成の妙を確認する結果となった。昨年、薬師寺に参詣したときも東塔の解体修理で境内の空間が騒々しく感じられたが、工事の規模はそのときの薬師寺よりおとなしいものであっても、おさまるべきものがおさまらないことによる破壊感がその場の聖性を喪失させている。
おさまるべきもの、と言えば、中宮寺の如意輪観世音菩薩は無事におさまって我が事のようにほっとした。先日、上野の国立博物館で拝見したときには、なんだか頼りなげではらはらしてしまったが、仏様はやはり見世物小屋ではなく在るべき場に在るべきだと思うのである。たとえ本家の寺院内であっても宝物館でケースに収められて標本のように晒されるのではなく、その御像が収められるべく意図された場所に在る状態で拝みたい。中宮寺の本堂は昭和に完成したもので、その意味では御本尊の本来の居場所ではないのだが、それでも御本尊を収めるべく計画された御堂なので、宝物館とは違う。