先日、清水寺に参詣した帰り、三年坂にあるイノダコーヒーでナポリタンスパゲッテイのセットを食べ終わった頃、留学時代の仲間のべんちゃんからメールが来た。さいちゃんが死んだというのである。自分と同世代で、しかもそこそこに親しかった奴が死んだと聞くと、やはり衝撃を受けるものだ。
さいちゃんというのは名前が斉「ひとし」なので音読みで「さい」と呼ばれていた。ちなみにべんちゃんは勉「つとむ」の音読みだ。留学していた先では同じ学年に120名ほどの学生がいて、そのうち日本人が7名だった。今は留学生のほうが多数派のようだが、当時は圧倒的にイギリス人が多く、7名というのは最大のエスニックグループだった。ちなみに次に多かったのはギリシャ人の4名だ。今から思えば、もっと現地での生活を楽しむべきだったという後悔がないわけでもないのだが、寝ても覚めても学校のカリキュラムに追われる現実はどうすることもできなかった。知識面ではそれほど難儀なことはなかったのだが、レポートの作成やグループワークでの議論といった場面では、なんといっても言葉の壁が高く、それを克服するためには時間をかけて準備をするよりほかに何ができただろうか。真っ当に参考図書を読み漁ることもしたが、日本人同士で傾向と対策を話し合うとうことも単位取得にはかなり有益なことだった。そうした甲斐もあって、7人全員が無事に学位を取得することができた。それぞれが職場に復帰してからは、それほど頻繁に顔をあわせる機会はなくなってしまったが、しんどい思いを共有した仲というのは、少なくとも私にとっては貴重な関係だ。
さいちゃんと最後に会ったのは2012年2月だった。私は失業していて思いつくままに旅行をしていた。勤め先から解雇されて、それなりにしんどい思いがあったが、ここで弱気になると自分を取り巻く環境が悪循環に陥ると思い、敢えて外に出ることを心がけていた。徹底的に破壊されたところから立ち直った場所を訪ねて、その力にあやかろうと広島を訪れた。その帰りに大阪に寄ってさいちゃんと梅田で一献傾けた。特に趣味があるような奴ではなく、仕事以外に会話のネタがあるというわけでもなく、あまり遅くならないうちに家に帰るという小市民的な習慣を持つ真面目な奴であったので、世間話のようなことで2時間程度過ごしただけだった。
どのような事情で死んだのか、詳しい話は一切聞いていないのだが、どのような事情であれ誰もが必ず行き着く先だ。向こうで再会したとしても、取り立てて話すことはないと思うが、それでも会えたら楽しいだろうなと思う。