修学院離宮はエライ人の別荘だ。建物は当然に凝るのだが、ここは借景の妙を愛でるべき場所だろう。景色作りの要となるところの所有権は押さえているので、丸々借景とは言えない。それでも京の街が遠望できる立地は今でも貴重だ。それがなんでもない郊外の風景のなかにあるところに値打ちがある。これでもかと飾り立てて細部に凝ることは金があればできる。そこに在るものにどれほどの価値を見出すかというところが本当の知性感性だろう。そのためには「これでもか」も知らないとただ在ることの有り難みはわからない。結局、知性感性は財力の裏付けが必要なのである。