熊本熊的日常

日常生活についての雑記

広島へ行ってみたい

2011年07月08日 | Weblog
アークヒルズのAUX BACCHANALESで友人と昼食を共にした。昔、職場が神谷町であった頃は、この店は自分の昼食圏内だった。その後、フランス系の企業に移ってからは、今はビルごと無くなってしまったが、原宿の店で職場関係のカジュアルな会食があったりした。この店を利用するのは久しぶりだったが、相変わらず外国人客が多く、料理も、料理そのものを楽しむというよりは、料理と会話と雰囲気とを丸ごと楽しむようなものになっているのも変わっていなかった。以前は、食事の量が物足りなく感じられたのだが、齢を重ねて食べることのできる量が減っているので、今はちょうどよい。

今日の相手はかつての職場の同僚なのだが、職場が変わった後も律儀に連絡をくれるので、3ヶ月に一回くらいの割合で、こうして食事を共にしている。会話は互いの近況やら、その場で思いついたことなどで、至って気楽で楽しいものだ。気楽ということは、記憶にも残らないということでもあるのだが、ひとつ心に引っかかったものがある。最近、彼は仕事で広島市に行ったのだそうだ。空いた時間が半日ほどあったので、市内を少し歩いてみたのだという。その整然と区画された街並に強い印象を受けたというのである。ひろしま美術館の展示にも驚いたそうだ。

彼も私も埼玉出身で、彼が広島を訪れるのは今回が初めて、私は三原には仕事で出かけたことがあるが広島市には足を踏み入れたことがない。原爆を除くと、広島から連想するのは厳島神社とか戦国時代の毛利元就で、つまり歴史が深い町という印象が個人的にはある。元就については様々な逸話が今日まで伝えられていて、なおのことどのような土地だったのかという興味を覚えずにはいられない。さらに個人的な経験として、新入社員の頃に仕事を教えていただいた先輩社員が広島出身で、後年、勤務先のフランス系企業を解雇された翌日に街でばったり出くわして、結果的に就職先を斡旋していただくことになる別の先輩も広島出身だ。

しかし、広島といえば原爆を抜きには語ることはできまい。個別具体的なエピソードがなくとも、日本で生まれ育てば原爆を知らずに成長することなど不可能ではないだろうか。日本に関心を持ってくれる外国人の間でもヒロシマ・ナガサキは興味の的のひとつであるようで、身近にも「今、どうなっているのか知りたかった」と言って広島や長崎を訪れた経験のある外国人が何人かいるし、昔、ドイツのアウグスブルクでホームステイをしていたときにも、それが夏だったということもあって、会う人毎に「広島は今はどうなっている?」と尋ねられたものだ。そして、今回の福島の件である。先日読み終わった丸山真男の文庫本「丸山眞男セレクション」のなかにも氏の8月6日の記憶がさらりと記述されている。その経験にまつわる記述は意図的に避けられているようだが、それだけ経験としての衝撃が強かったということでもあるのだろう。原爆後の広島の姿は、個人的には写真や記録映像でしか観たことがないが、その復興の結果は事実として目の前にある。爆撃を受けた結果として焼け野原になったということが現象として同じであったとしても、焼夷弾による絨緞爆撃と一発の原爆による爆撃とでは、違うことのように思うのである。何がどう違うのか、今の私にはわからないし、この先、わかるようになるのかどうかもわからないのだが、「違う」という感覚を掘り下げてみる作業は、死ぬまでに一度は試みてみないといけないとは感じている。日本人として生活しているのだから、常識として広島や長崎について語ることができるようでなければいけないのではないかとも思うようになっている。そうした思いが伏流水のように心の奥底にあって、今日、友人との別れ際の会話のなかで、期せずしてその水が意識の上に湧き上がってきた。まずは自分の目で見てみないことには始まらない。すぐにでも出かけていきたい気持ちだが、生憎、今月来月は週末がすべて予定で埋まっているので、9月か10月にでも行ってみようと考えている。

民芸

2011年07月07日 | Weblog
日本民藝館の友の会の更新に出かけてきた。郵便振替でもできるのだが、せっかくの機会なので足を運んだ。開催中の企画展は「芹沢介と柳悦孝 染と織のしごと」である。一月ほど前に静岡の芹沢介美術館を訪れたばかりなので、なんとなく親しい印象を受けた。

「民芸」というのは民衆的工芸品の略である。日本民藝館を構想し創設した柳宗悦が濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉と共に1926年に発表した「日本民藝美術館設立趣意書」にもその言葉が使われているそうだ。今、「日本民藝館は美術館です」と言われて、違和感を覚える人は少ないのではないだろうか。それは「民芸」が「美術」の一ジャンルとして社会的に認知されているということでもある。しかし、美術として「認知」されているのは濱田や河井や富本らの仕事であって、「民衆的工芸品」のなかに一緒くたにされる無名の作家や職人の仕事ではないように思う。「美術」とは何か、「美」とは何かということについての考えが無いままに、単なる知名度の高さを盲目的に有り難がる一般的風潮のなかで、「民芸」は柳らが考えた姿とはかけ離れたものになってしまっている。言葉だとか数字といった記号は、ひとたび生まれると、その創造や成り立ちとは無関係に独り歩きを始めるものなので、言葉の意味が変容したり内実を失ったりすることはよくあることだ。しかし、自分の生活圏にかかわるところのものは、やはり気になるものである。大学で履修している科目のなかに関係するところもあるので、今年の下半期は民芸について考え、それをなにかの形にまとめるということをテーマのひとつにするつもりでいる。

鴨はもうすぐ一人前

2011年07月06日 | Weblog
東村山駅前のロータリーの池で暮らしている鴨の親子は、そろそろ旅立つことになるのだろう。5月の終わり頃に登場したときには、子鴨たちは風呂場のおもちゃのような姿だったが、今は親鴨と見分けがつかないほどに立派に成長した。ここの鴨たちを見るのも今年で3年目だ。初めて子鴨を見たときには、鴨の成長と自分の木工の技能の成長を競うかのような気持ちになったが、今はそういう無謀なことは考えない。もっと気長に、というよりも、鴨は鴨、自分は自分という見切りがついている。

木工のほうは引き続き折りたたみ式のマガジンラックを制作している。本体部分はほぼ完成し、今は別付けの天板を作っている。今日は前回に墨付けをした天板の枠を切断して組み上げた。今日のところは仮組で、次回に溝を切って板を嵌め込み、本組まで進む予定だ。この調子なら今月中には完成できるだろう。8月にFINDのイベントに出店するので、そこに並べてみるつもりでいる。

鴨の成長にはとてもかなわないけれど、木工のほうも陶芸と同様に少しずつ前に進んでいるような気はする。

横と縦

2011年07月05日 | Weblog
陶芸は今日から壷の制作を始めた。これまでは皿を作る作業を続けてきた。皿は土を水平方向に伸ばす練習課題だ。壷は垂直方向に伸ばす練習である。壷も皿も、土を轆轤に据える際のフットプリントこそ違うが、基本的には途中まで同じ作業をする。どのような器も作り始めの段階では筒状に挽く。皿の場合は、その筒を外側に倒して水平方向に拡げ、壷の場合は、筒を上へ伸ばしていく。どちらの場合も、轆轤に土を据えて土殺しをしながら中心を決めるところで、その先の出来がある程度決まってしまう。何事も最初が肝心だ。

横と縦を組み合わせることで、強靭なものができあがる。例えば、糸を横方向と縦方向に組み合わせることで、糸という細長い姿から布という糸とは似ても似つかない姿に変容する。勿論、器は皿も壷もものを受け容れる姿であることにかわりはない。しかし、作り手の技能としては、横方向へ伸ばすことができ、縦にも伸ばすことができ、どちらを選択することもできるということになると、つくるものの広がりがでてくる。これからしばらく壷を作り続けることで、自分のなかに変化が生じるものなのか、あるいは何も起こらないのか、というようなことを観察するのも楽しみだ。自分を糸と見立てたときに、別の糸と組み合わせることで、想像もできなかったようなことが生まれるというようなことがあれば、それもまた楽しいことだろう。尤も、別の糸、というのは相手のある話なので自分だけでどうこうするわけにはいかない。自分だけではどうすることもできないという制約があればこそ、機会に恵まれたときに生まれるものが、制約を超えて発展するほどの大きなものになる可能性を秘めているともいえる。

忘れえぬ人々

2011年07月04日 | Weblog
昨日、プレゼンのことを書いていて思い出したのだが、社会人になって最初の仕事は営業だった。今となっては細かいことは憶えていないが、途方に暮れながらも日々悩んでいたはずだ。というのも、自分よりも客のほうが知識も経験も豊富なのである。その相手に何をどうしようというのだろうか。不思議なもので、最初の商いは記憶に無いのに、最初に自分の話に耳を傾けてくれた人のことは鮮明に記憶している。それはおそらく、商いのほうは、自分と相手との関係というよりも、自分の所属している組織と相手のそれとの間の関係によって、或る程度は習慣として成立したという事情もあるだろう。話を聞いていただくというのは、自分と相手との個人的な姿勢の問題なので、そこに自分を認めてもらった手応えのような実感があるから鮮明に記憶されるのだろう。「最初の一歩」という言葉を何気なく使うことが多いのだが、未経験を自分の頭で考えて克服するという意味で一歩踏み出すということは、傍目には些細なことであっても、やはり自分の思考に裏づけを与える大きな経験になるということなのである。振り返ってみれば、そういう大きな「一歩」は必ず他者との関係のなかにある。人は関係性のなかにのみ存在するものなので、それは当然のことではあるけれど、長く人生を重ねて習慣に流されていると、そうした当然を忘れがちになるものだ。人との関係を大切にして、自分のなかでの「忘れえぬ人々」を増やしていかなければ、生きている甲斐がないと改めて思うのである。

最大多数の最小幸福

2011年07月03日 | Weblog
スクーリングはグループワークを伴うことが多い。今回も7~8人のグループに分かれて与えられた課題についてグループとしての結論を出し、それを参加者全員の前でプレゼンをした。スクーリングは金土日の3日間だが、金曜日は主に講義に充てられ、土曜日はフィールドワーク、日曜はプレゼン、という日程なので、グループで活動する時間は数時間程度しかない。それでも、どのグループもそれなりにまとまったものを発表している。限られた時間で、その時間なりのものをつくりあげるということに意味が無いわけではないとは思う。同じ講義を聴き、同じものを見学した者どうしで、同じ課題について考えたときに、人によってどれほど違ったものを発想するかということを知ることも、知識や思考を深める上で大いに役に立つことには違いない。しかし、時間の制約が大きいなかで通り一遍のことに労力を費やすことは、スクーリングの在り方として果たしてどうなのだろうかという疑問もないわけではない。

全日制とは違い、通信課程の場合は学生の入学目的も入学以前の履歴も千差万別である。学校なので、当然、卒業して然るべき資格なり学位なりを得ようという人もいるだろうし、そうした名目上のことはともかくとして、知識や思考を深めてみたいという人もいるだろう。目的が一致していない集団で目先の課題を処理しようとすれば、そこに参加者間の軋轢や葛藤が生じるのは自然なことだ。参加者が社会人としての一般常識を持ち、余計な対立を避けるという行動に出れば、そうした葛藤を安易な妥協によって克服しようとするのも自然だろう。結果として出来上がるものは毒にも薬にもならないものであったりする。

グループワークの目的が、集団行動というものの特性を理解するというようなことなら、それでもよいのだろうが、違う見方が交錯するなかで物事の見えなかった部分に光を当てるというようなことを期するなら、参加者の属性にある程度の枠を与えないと、そもそも議論が成立しないということになる。時に、議論以前にコミュニケーション自体が怪しいというようなこともある。集団というものはそういうものだというのも現実の一面ではあるが、現実を確認するために大学というものがあるとも思えない。このあたりのところは、通信課程というものを選択する学生側も考える必要があるだろうし、学校側にも再考の余地はあるだろう。

グループワークのプレゼン内容だが、これまでの限られた経験から言えば、課題のハードルが高くなるほど内容が薄くなる。思考という行為は、本来的に個人的な営みだと思う。考えるべきものが大きなものであればあるほど、思考をまとめ、表明するまでの所要時間は長くなりがちだが、一方でカリキュラムの時間割によって発表する時刻は決められている。しかも、自分の思考をたたき台にして、他人の思考と比較対照したり、議論するというようなことができるほど、相手のバックグランドを知っているわけではないし、知る作業に充てる時間的余裕もない。盲衆象を撫でるが如く、噛み合わない話し合いが行われ、その上、相手の顔をつぶさないというような気遣いも暗黙のうちに行われる。結果として、深い思考や議論が求められる課題ほど通り一遍の薄弱な内容で妥協が成立することになる。それを象徴するのがプレゼンだ。わずか10分から15分ほどの持ち時間を、ひどい場合には7人とか8人というメンバー全員で分けて、ただでさえ内容の薄弱なものを細切れにして、余計に内容が希薄になる。しかも、殆どの人が原稿をつくって、それを棒読みにするということすら行われる。

おそらく、こうした現象は学校教育の個別具体的な現場の事情ではなく、我々が生活する社会のある側面が反映されているということなのだろう。ある事象に対し、その対処について熟慮する以前に、その事象が引き起こすであろう厄介事を回避すべく、対象を切り分けて自分が負う可能性のあるリスクに対して保険をかけ、リスクを分担できる相手を募って個別のリスクを低減して、対象事象を骨抜きにする、というのが社会で生活をするもののごく一般的な心得ではないだろうか。だから、そうした細分化や分散化で対応できる事象ならば支障は起こらないのだが、事が重大すぎて無闇に細分化できないようなこと、例えば原発事故のようなものになると、社会は機能不全に陥ってしまうのである。10分間のプレゼンを1人2分で分担して然したる中身のない原稿を棒読みにする思考と、制御不能に陥った原子力施設を持て余す思考も、根は同じことのように思われる。