熊本レポート

文字の裏に事件あり

誰も口にしない慈恵病院の赤ちゃんポスト、内密出産に相対する日本文化

2022-02-22 | ブログ
 様々な事情で、親が育てられない赤ちゃんを匿名で預けられる「赤ちゃんポスト」を設立した熊本の慈恵病院が、今度は『親に妊娠、出産を知られたくない』と相談に来た10代女性に「内密出産」を導入。


 この問題に「国や熊本市は消極的」と、新聞も法整備の必要性を求めているが、「弱者救済」の趣旨にあるとする「赤ちゃんポスト」、「内密出産」は、果たして日本文化と言えるだろうか。
 全ての弱者問題を否定はしないが、弱者がオール正義、「正しい」という見解は誤りである。
 同病院の趣旨は「赤ちゃんの安全な出生と保護」にあるが、日本には妊娠した女性に対して「自分で育てる」という伝統的な倫理観、文化があって、「子は鎹(かすがい)」として夫婦の縁を保ち、それが家族、地域社会を形成してきた。
 その段階での「弱者救済」は、地域社会での相互扶助という精神も育てられ、100パーセントの満足感は得られなくとも支援の法整備も存在する。
 ところが表現は悪いが、「産み捨て」を支援し、それを極論ながら増長させる社会が存在するとなると、家族や地域社会の相互扶助にも亀裂が生ずると想定される。即ち、日本の伝統的な倫理観、文化の崩壊である。
 また好む好まざるに拘らず、多種多様化のグローバル社会を考慮すると、国籍上の出自を越えた問題も浮上して来る。
 同病院は「立ち止まらぬ」という姿勢にあって、マスコミは「オール弱者は正義」という見解で世論づくりの感じにあるが、私達はここで足を止めて「日本人の伝統的な倫理観、文化」から慈恵病院問題を考える必要があるのではなかろうか…。