歴史を語るまでもなく天下人、天下を目指す者らの読み違いで時代は造られた。民はそれに嘆き、苦しめられるという繰り返しの歴史であった。
確かに天皇の退位、トランプ米大統領の訪日という日程もあるだろうが、安倍政治へ向けての安定政権となると、民進党の低落傾向、また小池新党(希望の党)の体勢が整う前というわけで、この時期の『抜き打ち解散』という読みは正しかったと思われた。
だが、それを読み違いにさせたのは、前原誠司民進党代表の小池新党(希望の党)との統合。国民の世論というものは、時に政策とは異なる政治力学で政局を動かす。どれほど政策第一と説かれ、理解したつもりでも嘆き、怒る民は判官贔屓、またまほろばを求めて感情、勘定で動く。
安倍総理に続いて読み違いとなったのは、希望の党と全議員が合流と信じていた大方の民進党議員。結果、希望の党公認候補、立憲民主党公認候補、そして無所属候補とに民進党議員は別れることになった。
針を少し戻すと、今回の選挙で民進党は壊滅に近い敗北を味わったはずであった。もちろん自公の一人勝ちというわけではなく、根強い反自公政権の国民も一定割合としているわけで、それは共産党の得票を押し上げると予測された。
こうした時、旧社会党化すると見られた民進党の前原代表は、どう決断するかであったが、壊滅から「政権奪還」へと大転回するには「分党しかない」という結論は正解。リベラル派という表現はどうかと思うが、「政権の受け皿」となると、同左派のように現政権と政策が180度も異なる事態が基本的には大きな問題。数の寄り合わせで短期政権となった厳しい遺物がこの点で有り、これが離党者を生み、旧社会党化行きと見解が出て、それが前原代表の脳裏にあったのは確かだ。すなわち前原代表の頭には希望の党への合流ではなく、それによる分党が目的であった。
自らは合流せず、次選挙は無所属候補となると、後は希望の党による荒療治にお任せである。すなわち今回、ここで読みが的中したのは前原民進党代表となるが、選挙後に希望の党への合流はあっても、政治力学的には歴史に名前を遺した前原誠司という政治家といえる。
それでは今回の衆院選だが、安倍総理の描いた単独で可能な改憲は潰れるにせよ、希望の党に政権を奪われるという予測はまずない。また分党化されての立憲民主党だが、議席数で第2に推定される希望の党に迫るという予測は想定出来ない。共産党と配分するという議席数ではなかろうか。
ところで政党間の争いは政策第一と教えられるが、日本維新の会と希望の党との選挙協力は明らかに政治力学による数会わせで、それも自公、野党連合という選挙協力とは異なり東京都、大阪府の両党支持者だけでなく、一部有権者を小馬鹿にした選挙協力で、両党にとってもプラスには働かないのではなかろうか。
また日本の政治に悪影響を与えている既得権を背景にした『しがらみ』であるが、それは野党支持の連合にも言えるわけで、「原発0を目指す候補は支持しない」との連合・電力労連の意向は、明らかに日本の民主政治を疎外する圧力。
下からの民衆の声を政治に、しがらみのない政治と選挙カーが走り出すが、その嘘を生み出させているのは、実のところ我々、市民だとはいえないか。それでも安定政権を目指す自公与党、一方の政権奪還が目的の新党が、いずれも民の癇に障る政治力学の衆院選では、再び後ろ向きの結果を生むことも当然ある。果たして歴史に読み違いを刻むのは、誰と誰か、それが今回の衆院選・・・。