万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

脱原発論は特殊相対性理論の平和利用を葬るのか

2011年07月06日 15時40分23秒 | 社会
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 アインシュタインと言えば、誰もが、相対性理論を思い浮かべるかもしれません。1905年に発表した特殊相対性理論で、氏は、かの有名なE=m×C²という式を明らかにしました。原発論もまた、この理論抜きにしては、語ることはできないと思うのです。

 何故ならば、極めて単純で美しいとされるE=m×C²の式は、質量とエネルギーの等価性を表現しているからです。このことは、物質には膨大なエネルギーが潜在していることを示してもいます。アイシュタインいわく、”1グラムの質量とは、90兆ジュールのエネルギーの塊”ということになるそうなのです。このアインシュタインの理論が原子爆弾の生みの親となったことで、原子力のイメージは損なわれ、さらに、平和利用のはずの原子力発電もまた、相次ぐ事故で批判の矢面に立たされることになったのですが、原子力の技術が、膨大なエネルギーを生み出す可能性を秘めているという事実には変わりはありません。

 もちろん、人類が、未だに原子力を使いこなせていない現実はあります。しかしながら、脱原発の流れに押されて、原子力の可能性そのものをも葬ることが、果たして人類にとって適切な選択であるのか、疑問に思うのです。資源の枯渇した未来にあって、より安全に、より低コストで、かつ、良質の電気を、大量に供給するかもしれないのですから。

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コメント (7)
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