万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

多文化共生主義は文化の死亡診断書

2011年07月29日 15時11分15秒 | 社会
ノルウェー連続テロ1週間 反移民、「多文化」を侵食 「開かれた国」試練(産経新聞) - goo ニュース
 ノルウェーで起きた忌まわしいテロ事件の背景には、増加を続ける移民問題があると指摘されています。移民問題は、多文化共生主義という美名によって糊塗されがちですが、果たして、この多文化共生主義の行きつく先には、何が待ち受けているのでしょうか。

 異文化の相互尊重には、多くの人々が賛同していますし、文化財や歴史的な遺産の保護を否定する人もほとんどいません。一方、多文化共生主義とは、国内において、全ての文化に平等の価値を認めようとする考え方に基づいています。つまり、移民の持ち込んだ文化を、そのまま受け入れ国に定着させようというのが、多文化共生主義なのです。しかしながら、この路線には無理があり、やがて限界に到達すると予測されるのです。何故ならば、文化とは、それを生み出した集団と結びついており、外国への移植は、持ち込まれた側にとりましては、文化的空間の絶え間ない分裂を意味するからです。多文化共生主義によって出現した空間とは、世界各地から切り取られた多様な文化の小断片の寄せ集めでしかありません。しかも、全てを平等に扱うとしますと、自国の文化的な伝統や遺産を維持することさえ差別とされ、糾弾されるかもしれないのです。この路線を突き詰めますと、どの国も、母語に代わって全世界の言語を公用語とせざるを得なくなり、国民は、相互コミュニケーションの手段を失うことになります。つまり、多文化共生主義は、文化を擁護しているようでその実、全ての文化を雑多な混沌の中に投げ入れ、死滅へと導いているのです。

 イギリスやドイツなどからは、多文化共生主義は失敗であったとする声も聞こえてくる一方で、自国の固有文化の尊重を求める主張は、ネイティヴィズム(先住民保護主義)や”多文化への侵害”として批判的に捉える見方もあるようです。移民国家の場合には、それほどに事態は深刻化しないかもしれませんが、国際社会における多様な文化の相互尊重と、一国の内部における多文化共生主義とでは雲泥の差があり、やがて、両者は二律背反の関係に至ります。このように考えますと、多文化共生主義を無批判に理想視することなく、この思想に潜む破滅的な作用をも見据えるべきと思うのです。

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コメント (6)
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