新たな画像、「死刑囚と後藤さんとの交換」強調(読売新聞) - goo ニュース
「イスラム国(ISIL)」によって引き起こされた人質事件。報道によりますと、なおも、「イスラム国(ISIL)」は、後藤氏と死刑囚との人質交換も求めているそうです。
ところで、テロリストによる人質事件は、実のところ、必ずや誰かが犠牲になるという抜き差しならぬ選択の問題を突き付けるものです。(1)テロリスト、(2)人質、(3)一般の人々の中から、誰が犠牲になるのかを、否が応でも選ばなければならないのです。それでは、どのようにしてこれらの中から犠牲となる人を選ぶのでしょうか。その判断基準は、通常、事件に関する責任の重さと犠牲の大きさに求められます。道徳律の原則からしますと、犠牲になるべき、この場合は罰せられるべきは、事件の当事者、つまり、事件の責任を負うべきテロリスト達であることは言うまでもありません。(1)が犠牲になるのがベストな選択です。犯罪者であり、かつ、人質を含む一般の人々の生命を脅かしているのですから(多くの諸国では特殊部隊による強行突入を実行…)。しかしながら、今回の事件では、「イスラム国(ISIL)」の支配地域は警察機能が働かない無法地帯と化しています。欧米による空爆が実施されていつつも、「イスラム国(ISIL)」が指定した期限以内に自衛隊、もしくは、諸外国の特殊部隊を派遣して人質を奪回することも、「イスラム国(ISIL)」を壊滅に追い込むことも、不可能とは言わないまでも、現実的観点からしますと相当に困難です(自衛隊派遣の是非は、今後の議論となる…)。となりますと、残るは他の選択肢となるのですが、今度は、(2)と(3)の間で比較衡量せざるを得ません。(2)を救出するためにテロリストの要求に屈しますと、将来的には(3)が犠牲となるならば、まさしくこの問題は、どちらを選ぶかの二者択一となります(テロリストは暴力主義者なので、高い確率で被害者が発生…)。事件に関する責任の重さを考慮しますと、(2)である後藤氏は、自己責任を語って渡航し、かつ、自らの意思で危険地帯に踏み込んだのですから、事件の発生に全く責任がないとは言えません。一方で、(3)は事件に全く責任がなく、いわば、無辜の民です。(2)一人のために(3)の多数が間接的ではあれ身代わりとして犠牲となるのは、冷静に考えますと、不条理で酷なことです。
人命尊重に訴えて人質の救出を求め、政府に対してテロリストの要求を受け入れるよう圧力をかけることは、一見、正義感に溢れた行動に見えます。しかしながら、この問題が、命の選択という究極の二者択一問題であることに気が付きますと、この主張は、一瞬にして、他者の犠牲には目を瞑るエゴイスティックな主張に一変してしまうのではないでしょうか。
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「イスラム国(ISIL)」によって引き起こされた人質事件。報道によりますと、なおも、「イスラム国(ISIL)」は、後藤氏と死刑囚との人質交換も求めているそうです。
ところで、テロリストによる人質事件は、実のところ、必ずや誰かが犠牲になるという抜き差しならぬ選択の問題を突き付けるものです。(1)テロリスト、(2)人質、(3)一般の人々の中から、誰が犠牲になるのかを、否が応でも選ばなければならないのです。それでは、どのようにしてこれらの中から犠牲となる人を選ぶのでしょうか。その判断基準は、通常、事件に関する責任の重さと犠牲の大きさに求められます。道徳律の原則からしますと、犠牲になるべき、この場合は罰せられるべきは、事件の当事者、つまり、事件の責任を負うべきテロリスト達であることは言うまでもありません。(1)が犠牲になるのがベストな選択です。犯罪者であり、かつ、人質を含む一般の人々の生命を脅かしているのですから(多くの諸国では特殊部隊による強行突入を実行…)。しかしながら、今回の事件では、「イスラム国(ISIL)」の支配地域は警察機能が働かない無法地帯と化しています。欧米による空爆が実施されていつつも、「イスラム国(ISIL)」が指定した期限以内に自衛隊、もしくは、諸外国の特殊部隊を派遣して人質を奪回することも、「イスラム国(ISIL)」を壊滅に追い込むことも、不可能とは言わないまでも、現実的観点からしますと相当に困難です(自衛隊派遣の是非は、今後の議論となる…)。となりますと、残るは他の選択肢となるのですが、今度は、(2)と(3)の間で比較衡量せざるを得ません。(2)を救出するためにテロリストの要求に屈しますと、将来的には(3)が犠牲となるならば、まさしくこの問題は、どちらを選ぶかの二者択一となります(テロリストは暴力主義者なので、高い確率で被害者が発生…)。事件に関する責任の重さを考慮しますと、(2)である後藤氏は、自己責任を語って渡航し、かつ、自らの意思で危険地帯に踏み込んだのですから、事件の発生に全く責任がないとは言えません。一方で、(3)は事件に全く責任がなく、いわば、無辜の民です。(2)一人のために(3)の多数が間接的ではあれ身代わりとして犠牲となるのは、冷静に考えますと、不条理で酷なことです。
人命尊重に訴えて人質の救出を求め、政府に対してテロリストの要求を受け入れるよう圧力をかけることは、一見、正義感に溢れた行動に見えます。しかしながら、この問題が、命の選択という究極の二者択一問題であることに気が付きますと、この主張は、一瞬にして、他者の犠牲には目を瞑るエゴイスティックな主張に一変してしまうのではないでしょうか。
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