万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

道徳教科書-諸価値の棲み分け、調和、優先順位こそ論じるべき

2015年07月04日 14時31分07秒 | 社会
道徳教科書、「寛容」と「規則の尊重」 自ら考え議論に力点 学習指導要領解説書
 道徳とは、善悪の微妙な判断やヒューマニティが問われるため、教えるのが極めて難しいとされています。しかしながら、その難しさを避けて無視すると人間社会がカオス化、あるいは、野蛮化しますので、健全な社会の実現のためには道徳教育は避けて通れない課題です。

 道徳を抽象的な言葉で説明するのが難しいため、昔ながらの教育方法では、実在の人物の偉業や模範的な行動、あるいは、人々の心を打つ逸話を教科書に載せて読ませることで、道徳心の感化を促してきました。その一方で、今般、日本国では、道徳の教科化に伴って、”自ら考え議論する”に力点を置く教科書が登場するそうです。新たな教育方法が導入されたわけですが、不安がないわけではありません。”答えのない議論”の論点として、二つの対立する価値が例として挙げられてるのですが、この二つの価値とは、「寛容」と「規則の尊重」です。しかしながら、この二つ価値の間の論争には、答えはないのでしょうか。例えば、法によって律せられている行為については、「寛容」はあり得ないことです。殺人、暴力、窃盗…といった他者に害を与える行為に対して無分別に「寛容」が適用されますと、犯罪天国となるからです。こうした分野では、「寛容」を説くことこそ、逆に、犯罪や違法行為を容認する非道徳的行為となります。仮に、法を破った加害行為に対して「寛容」を適用する余地があるとしますと、刑罰を受けて罪を贖った後であるとか、深く反省して被害者に謝罪をした場合とか、被害者にも過失や原因があり、情状酌量の余地があるとか、何らかの条件が付くはずです。

 このように、議論の対象となる行為を犯罪や違法行為に特定しますと、自ずと答えは決まってきます。答えが決まっている場合には、敢えて議論する必要があるのか疑問でもあり、上記の例では、むしろ、遵法精神の意義を理由を添えて教えた方が、犯罪撲滅には効果があるかもしれません。また、道徳の教科書で”答えはない”と断言しますと、当然であった社会常識や規範が一気に崩壊する怖れもあります。一方、自由と平等の間に見られる緊張のように、答えを見出すのが困難な領域もあります。こうした場合には、どのような場合に、どの価値が、どのような理由で適用されるのか(棲み分け)、矛盾する諸価値を調和の方法はあるのか(調和)、あるいは、どちらを優先すべきなのか(優先順位の決定)、といった問題を論じる方が、よほど価値判断の訓練になるのではないかと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村



 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする