万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

最小限が最大限の軍事力になる集団的自衛権否定論のパラドクス

2015年07月17日 15時13分19秒 | 日本政治
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 昨日、安保法案が衆議院本会議を通過し、参議院での判断を残すにせよ、今国会で成立する見通しとなりました。当法案成立の最大の意義は、政府解釈の変更の下、集団的自衛権行使への道を確かにしたことにあります。その一方で、左翼勢力を中心に法案反対の声も根強く、昨日は、国会をデモ隊が取り囲むという一幕もあったようです。

 集団的自衛権の行使に反対する人々の主張とは、要約すれば、”憲法上、日本国の自衛権は、他の手段では対処できず、かつ危険排除のための最小限度に留まることを条件に認められいるに過ぎず、個別的自衛権の枠を越えることは許されない”というものです。専守防衛こそが日本国の防衛政策の基本方針であるから、集団的自衛権の行使は違憲、と結論付けているのです。この主張に賛同する人々は、”最小限度の防衛力”に惹かれ、日本国は、軍事面において僅かのコストしか払わなくて済むと理解しがちです。日本国は、軍事大国にはならず、それ故に、国民は、戦争を心配することなく、安穏と生活できると…。しかしながら、否定論者は、最小限の防衛力が、実際には、どの程度の軍事力を意味するのか、全く考えていないようなのです。少なくとも、自力で確実に自国を防衛するためには、最小限、中国に一国で立ち向かえるだけの軍事力を備える必要があります。さらには、無法国家が結託して日本国を攻撃する場合には、日本国が持てる資源を全て軍事につぎ込んだとしても、自国を防衛できるかどうかは分かりません。当然、スイスのように、徴兵制も敷かざるを得なくなることでしょう。

 集団的自衛権否定論には、最小限の軍事力が最大限の軍事力となるパラドクスがあります。このように考えますと、集団的自衛権の行使容認は、国際包囲網となる集団的自衛体制に参加する諸国の防衛コストを下げると共に、参加国の軍事力の結集と協力が、無法国家の冒険主義的な軍事行動を全方位から抑え込む効果を発揮するのですから、一石二鳥といっても過言ではないと思うのです。

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コメント (2)
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