万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

移民問題の究極の原因は人類の多様性にある

2015年07月24日 14時53分49秒 | 国際政治
移民受け入れの検討、政府に要請へ=労働力不足に対応―榊原経団連会長
 これまで、多くの諸国が、労働力不足を理由に移民受け入れ政策を実施してきました。しかしながら、当初の期待に反して、二代三代と世代を重ねても、国民統合が十分に達成された状態には至らず、ヨーロッパ諸国からISILへの参加者の多くは、移民の子孫であると指摘されております。この現象は、偏に、移民に疎外感を抱かせている受入国側に非があるのでしょうか。

 移民問題とは、個人の自由の問題として捉えられがちです。それ故に、個人の自由の行使の結果として定住地の集団から”阻害”されたり、”差別”されたりすることは許されず、移民を厚く保護すべき、ということになるのでしょう。しかしながら、7万年前にアフリカを出発して以来、ホモ・サピエンスが、住み着いた土地への身体的な適応、並びに、集団内部での独自言語の形成や行動の慣習化によって、多様な集団に分化してきた歴史を考慮しますと、移民問題は、個人レベルの問題に矮小化することは出来ません。移民問題とは、個人と集団の関係において発生するからです。社会とは、相互の意思疎通を可能とする共通性を紐帯として成立しますので、ある個人が自らが属していた集団とは異なる別の集団に移動した場合、即、その集団の一員となることは難しいのです。人類の多様性は、各地で普遍的に見られる二つの現象を説明します。第一に、移民は、定住地の社会から好意的に受け入れらる、あるいは、自ら馴染まない限り(”郷に入っては郷に従え”)、疎外される傾向にあること、第二に、移民もまた、定住地社会において出身集団を同じくする下部集団を形成すること、です。第二の現象は、移民もまた、決して純粋な”個人”ではないことを現していますし、社会的分裂をも説明してます。つまり、今日観察される移民問題の究極の原因は、人類の多様性にあるのです。それでは、この人類の多様性を消し去れば、移民問題は解決されるのでしょうか。多様性への分化は人類が辿ってきな歴史の結果ですので、後から政策的に消去することは不可能です。多様性消去を目的に国境を取り除いた途端、全人類は、社会的な枠を失い、個と集団が入り乱れる無秩序や闘争状態に陥ることでしょう。移民の個人としての自由を最大限尊重すると、受け入れ国の社会は共通性を失って崩壊の危機に瀕するという二律背反性が移民問題には横たわっているです(個人の自由と集団の権利との問題)。

 日本国の経団連では、労働力不足の解消策として移民受け入れ政策の実施を政府に求めると報じられておりますが、受け入れ側となる国民の意向や立場は全く無視されているようです(ロボット産業の振興とも矛盾している…)。しかも、移民に伴う政治的なリスクについても不問に付されています。人類の多様性に起因し、かつ、個人と集団との間に二律背反性のある問題については、バランスのとれた議論が必要ですし、移民問題の深刻化に鑑みれば、安定した社会を維持する権利としての国民の権利がより尊重されて然るべきと思うのです。

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コメント (4)
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