万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

広島・長崎の犠牲はアメリカ国民をも救った

2016年04月13日 15時05分40秒 | 国際政治
「オバマ広島訪問」は? 「可能性は十分」広島平和センター理事長
 オバマ大統領の広島訪問については、アメリカの国内世論による”謝罪外交批判”が懸念され、現状では五分五分の可能性なそうです。若年層には評価に若干の変化が見られるものの、戦後70年を経てなおも、広島と長崎への原爆投下については肯定的な意見が多数を占めるからです。

 それでは、アメリカ世論を説得する方法はあるのでしょうか。一つ、それがあるとしますと、大統領の訪問に先立って、”広島・長崎で払われた多大なる犠牲が、間接的にはアメリカ国民をも救った”とする認識がアメリカ国内に広がることです。第一に、仮に、米政府の公式見解通り、原爆投下の目的が、終戦の時期を早め、本土決戦におけるアメリカ軍兵士の犠牲を最小限に留めることにあったとしますと、被爆地の犠牲あってこそ、アメリカの若者達の命が救われたことになります。日本本土上陸作戦として計画されていたダウンフォール作戦では、連合国側の死傷者も、5万から27万人にも上ると予測されていたそうです。第二に、仮に、たとえ原爆投下は戦略的には必要がなかったとしても、被爆地の惨状が、核兵器の破壊力を全世界に知らしめたことは、その後の冷戦期において、核の抑止力が作用する環境を提供しました。キューバ危機では、核戦争の恐怖がソ連邦の譲歩を引き出しましたが、核の抑止力が第三次世界大戦の発生を防いだとしますと、被爆地の犠牲の下で、アメリカ国民は、他国から核攻撃を受けることなく平和な日常を享受したとも言えます。そして、後者の犠牲によってもたらされた平和への貢献は、全人類にも及んでいます。

 ”広島・長崎で失われた尊い命は、今日に至るまで、アメリカ国民を含め、多くの人々の命を救ってきた”、という認識が広がれば、アメリカ大統領による被爆地訪問も、アメリカ国民にも蟠りなく受け入れられるのではないでしょうか。

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