万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

核と銃のアナロジーから見た抑止力の議論

2016年04月21日 15時19分21秒 | 国際政治
北朝鮮、核実験場で掘削再開か=米研究所
 米ジョンズ・ホプキンス大高等国際問題研究大学院の米韓研究所によれば、北朝鮮では、核実験の再開に向けてか、坑道の採掘再開の動きが見られるそうです。朝鮮半島の軍事独裁国家は、あくまでも核保有を目指す方針を貫く構えのようです。

 ”核のない世界”と”銃のない社会”については、両者とも、”他者の命を危うくする攻撃的な武器は持つべきではない”とする良心的な見解において共通しています。それ故に、核廃絶や銃規制に賛成する人々は、善良なる平和主義者と見なされています。しかしながら、この見解には説得力のある反論があります。それは、”抑止力”というものです。先日、日経新聞の紙面に、銃携帯が合法化されたアメリカのテキサス州についての現地報告が掲載されていました。この記事で特に注目されたのは、同時に掲載された一枚の写真です。テキサス州では、今年の1月1日から145年ぶりに公共の場で他の人々が見えるように銃を携帯できるようになったのですが、どのような人々が銃を携帯しているのか、と思いきや、写真に写っていたのは、何と、うら若い女性なのです。ステレオタイプの理解では、銃の保持者=暴力主義者なのですが、この写真は、銃携帯の主たる理由が護身用であることを示しております。つまり、銃を携帯する人もまた、銃を以ってしか身を守ることができない善良でか弱い人々である場合もあるのです。アメリカの世論も、銃規制賛成派と反対派とが真っ向から対立していますが、テキサス州での銃携帯の合法化が、犯罪者に対する心理的圧力、即ち、犯罪抑止の効果を期待していることは疑い得ないことです。この点は、銃携帯が”公然”であることからも推測されます(犯罪目当てであれは、自ら銃を手にして歩くとは考えられない…)。そこには、警察の銃では、犯罪者の銃に対応し切れない、とする米国社会における現実認識があるのです。

 一方、核兵器については、少なくともNPT体制において、原則として国連安保理常任理事国にのみ特別に核保有を認めたことは、”警察の銃”を承認したことを意味します。しかしながら、現実には、核の抑止力は、核保有国間の相互確証破壊において均衡抑止の意味を持つと共に、NPTの理想は形骸化し、核保有国による先制攻撃のリスクのみならず、核の拡散も起きています。いわば、”警察”が銃を独占できず(”警察国”とも言えないかもしれない…)、核を持つ暴力主義国家が跋扈しているにも拘わらず、国際社会では、非保有国の護身用の核保有については、アメリカの銃規制程にも議論がなされていないのが現状です。今日の状況を考慮しますと、核保有国は、核を持たない善良な諸国が被っているリスクを理解するとともに、NPT体制に対する非核国の不満の声に、より真剣に耳を傾けるべきではないかと思うのです。

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