万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

南シナ海侵出ーユネスコを踏み台にした中国

2016年07月25日 14時52分36秒 | 国際政治
共同声明合意へ妥協成立=「南シナ海」でASEAN外相―ラオス
 仲裁裁判により南シナ海全域に対する中国の歴史的権利は否定され、中国が作成した地図上の「九段線」も消えることとなりました。「九段線」の消滅は、同時に、中国の強引な南シナ海進出の経緯をも浮き上がらせています。

 日本国内では、1974年1月19日に、中国がベトナムが実効支配していたパラセル諸島西部のクレセント諸島に武力侵攻した際に、ベトナム側が、中国の侵略行為を安保理に提訴したものの、中国側の拒否権によって封じられた事実はあまり知られていません。そしてもう一つ、国連が関係する知られざるを事実があります。

 それは、中国が、スプラトリー諸島において、軍事拠点建設に向けて最初の橋頭保を築いた経緯です。どのような手法で中国がスプラトリー諸島に足掛かりを得たのかと申しますと、事は、1987年4月に、中国がフェアリー・クロス礁にユネスコの科学調査プロジェクトであるGLOSSの一環として、気象観測所の設置作業を建設したことから始まります。GLOSSは純粋に科学的調査のためのプロジェクトであり、元より政治性は考慮されていなかったのですが、中国はこれをチャンスと見て、気象観測所用とは言い難い大規模な工事を行うのです。この結果、ベトナムとの間に衝突が生じ、1988年3月には、遂にスプラトリー諸島の海戦に至り、中国は、ベトナムからジョンソン南礁、ヒューズ礁、クアテロン礁等をも奪取するのです。誰がどう見ましても武力による現状の変更なのですが、スプラトリー諸島をめぐっては、領有権やEEZが未確定の状態にあったため(ベトナムと台湾が全域の領有権を、フィリピンがEEZ内を主張…)、今日まで、中国の侵略性が糊塗されてきたのです。

 しかしながら、「九段線」が法的に否定された今、残された事実は、ユネスコを踏み台にしてスプラトリー諸島を侵略した中国の違法行為です。中国国内では、”スプラトリー諸島の海戦の勝利”を誇る一方で、南シナ海問題に対して”部外者”は干渉するな、と牽制していますが、少なくともスプラトリー諸島に関しては、根拠なく進出してきた”部外者”とは、中国自身ではなかったのかと思うのです。

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コメント (2)
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