万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

南シナ海問題が示す尖閣諸島が日本領である傍証

2016年07月31日 15時28分56秒 | 国際政治
日本の経済成長に必要なのは中国との協力なのに!政治がぶちこわし=中国報道
 南シナ海とは、台湾海峡からカリマタ海峡、並びに、マラッカ海峡の間に広がる350万㎢もの広さを持つ世界最大の半閉鎖海です。近年、特にパラセル(西沙)諸島とスプラトリー(南沙)諸島が注目されていますが、中国は、これらの諸島の他に、フィリピン沖の中沙諸島、並びに、台湾寄りの東沙(プラタス)諸島の二つの区分を設けています。

 ところで、南シナ海について調べていますと、尖閣諸島とも関連する興味深い史実が見出されます。それは、東沙諸島の領有権をめぐる日清間の角逐です。同諸島は、現在、台湾の実効支配下にあり、中国もまた領有権を主張しています。両政府とも、当諸島に対して明代からの”歴史的権利”を根拠としており、1730年には清国が自国の版図に編入したとしてます。しかしながら、しばらく無人島となっていたため、1901年には、日本人の玉置半右衛門が探査船を派遣し、1907年には西澤吉次等が内務省に台湾への編入を求めると共に、同諸島でグアノ・リン鉱採掘の事業を開始してます。同諸島は、”西澤島”とも称されていましたが、こうした日本国側の動きに対して、事業開始から3年を経た1909年に至り、清国では、ナショナリズムの高まりから対日ボイコット運動が発生し、日本国政府に対して公式に抗議を行ます。当事の日本国政府は、同島を無所属と認識していたものの、清国との関係悪化を憂慮し、清国の領有が証明された場合にはそれを認める方針で交渉に臨みます。最終的には、日清間において、「プラタス島引渡ニ関スル取極(交還東沙島條款)」が締結され、清国側が賠償として、同島の西澤の資産を相当額で買い取るのと引き換えに、日本国側は、清国による同諸島の領有を認めるのです(ただし、当時の清国政府は、島の正確な地理的位置さえ把握していなかったらしい…)。

 東沙諸島をめぐる経緯から尖閣諸島について指摘できることは、(1)東沙諸島とは異なり、日本国が1895年に尖閣諸島を編入した際には、清国から全く抗議がなかったこと(2)1909年の清国民のナショナリズムは、領土回復運動があったにも拘わらず、尖閣諸島に対しては”返還”を求めていないこと、(3)当事の日本国政府は、領有の証明を条件として清国の領有を認めていたこと、(4)清国の領有権主張は、ナショナリズムと軌を一にしていること(季節的に中国漁民が渡海していた事実はあるものの、法的根拠は怪しい…)などです。こうした側面は、尖閣諸島が日本国領であることの傍証ともなるのではないでしょうか。

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コメント (2)
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