万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

’二つの正義’のジレンマとは―国際法秩序と第三次世界大戦のジレンマ

2022年04月18日 15時06分47秒 | 国際政治

 ウクライナ危機は、ロシアとウクライナとの二国間関係にとどまらず、今日の国際社会が抱える致命的な問題点をも浮かび上がらせています。このため、地理的に遠方に位置する日本国にあっても関心が高く、国際社会の在り方について国民が深く考える機会ともなっています。

 

 先日も、東京大学の入学式にて映画監督の河瀨直美氏が述べた祝辞の内容が、ネット上で議論を呼んでいました。批判的な論調が強かったのですが、その主たる理由は、同氏が、ロシアの’正義’とウクライナの’正義’を同列に並べつつ、ロシア側のみを悪として糾弾する姿勢に疑問を投げかけたからです(もっとも、後半では日本国も他国を侵略する可能性について言及しているため、ロシア側に’正義’があるとするならば、侵略国であるはずの日本国にも正義があることになり、どこか一貫性を欠いている…)。同氏の認識には、国際法に違反した加害国と被害国とを区別がない、即ち、善悪の判断が欠けているという倫理観の欠如に対する批判なのですが、ウクライナ危機に際して提起される二つの正義の問題は、ロシアとウクライナという二次元の国家間にあるというよりは、別次元にあるように思えます。

 

 ウクライナ危機が人類に突き付けている’二つの正義’のジレンマ、それは、国際法秩序の維持と第三次世界大戦の阻止との間に横たわっているように思えます。国連の枠内であれ、枠外であれ、国際法違反国に対し、違反行為を止めさせるために国際社会、あるいは、有志国家群が一致団結して軍事行動に出ると、第三次世界大戦を引き起こしてしまう可能性があるからです。正義を実現するための善なる行動が、人類滅亡への道を開いてしまうというジレンマなのですから、この問題は深刻です。

 

 このジレンマについては、これまでも本ブログにおいて再三にわたって指摘しており、先ずもって、中立・公平な国際機関による厳正なる調査が必要となる点を強調してきました。国際レベルでは、司法の独立は制度的に確立されていませんので、国際法の主観的な解釈並びに一方的な適用(執行)は、第三次世界大戦への最短の道となり得るからです。今般のウクライナ危機のケースでは、当事国間の歴史的経緯を検証しつつ、ロシア軍侵攻に先立つウクライナ側によるロシア系住民に対する虐殺行為(ジェノサイド)の有無やアゾフ大隊による挑発行為の有無等を調べる必要がありましょう。

 

仮に、独立性が保障されている国際レベルでの司法調査機関が’動かぬ証拠’を握り、ロシア側の犯罪性が明らかとなれば、ロシア、あるいは、プーチン大統領は、国際司法裁判所や国際刑事裁判所に起訴されることになります。被告側が素直に国際法廷に姿を現し、同機関の判決に従うとすれば、ウクライナ危機は平和的な手続きを経て無事に解決されましょう。この展開は、全ての諸国が歓迎する最も理想的な終わり方となります。

 

しかしながら、ロシア側が国際司法手続きに従うとは限らず、また、国際司法機関の判決の執行に責任を負う安保理も、ロシアが常任理事国である以上、迅速な対応を期待することはできません。従って、結局、有志連合が同判決を根拠として、ロシアに対して軍事力を発動するしかなくなくなるのです。ウクライナ危機に限らずとも、フォーマルな司法手続きを経たとしても、第三次世界大戦は起こり得るのです。言い換えますと、冒頭で述べたジレンマは、まさに、どちらを選んでも悲劇的な選択を人類に迫るのです(つづく)。


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