ロシア軍の撤退に伴い、キーウ近郊のブチャ近郊にて殺害された多数の民間人の画像が多くの人々に衝撃を与えています。子供を含む民間人が惨い姿で虐殺されたとされており、これが事実であれば、戦争犯罪であることは疑いようもありません。それでは、この虐殺事件に対しては、どのように対応すべきなのでしょうか。
ウクライナのゼレンスキー大統領がジェノサイドとしてロシアを糾弾するのみならず、同国を支援しているアメリカのブリンケン国務長官も、早々にロシア軍による戦争犯罪を追及する姿勢を示すとともに、ドイツのショルツ首相やイギリスのジョンソン首相なども同様の見解を示しています。もっとも、戦争犯罪追及に関する具体的な行動については、それぞれ相違が見らます。
報道されている限られた情報からしますと、ブリンケン国務長官は、「戦争犯罪を裏付ける証拠を収集し、ロシア軍の責任を追及していく」としており、同虐殺事件において証拠集め、即ち、捜査を実施する組織については言明していないようです。アメリカが捜査主体となるとも解されますが、少なくとも証拠収集の必要性については言及しています。その一方で、イギリスのジョンソン首相は、「戦争犯罪が行われている証拠だ。国際刑事裁判所による捜査を率先して支援する」との声明を発表しており、捜査機関として国際刑事裁判所という具体的な国際司法機関の名称を挙げています。
米欧諸国がロシアの戦争犯罪を追及する姿勢を強める中、同事件に衝撃を受けた一人である国連のグテレス事務総長も、「独立した調査によって、説明責任がしっかりと果たされることが不可欠だ」と述べています。同事務総長が、捜査機関として国際刑事裁判所を名指ししなかったのは、ロシアが同規定の未加入国という現状を考慮してなのかもしれません(中国やアメリカも未加入…)。何れにしましても、同発言は、虐殺事件に関する捜査機関について、改めて‘独立性’を強調した点において注目されましょう。何故ならば、ロシアのプーチン大統領は、ロシア軍の虐殺行為についてこれを真っ向から否定しているからです。
一昔前であるならば、虐殺事件の報は、戦線の拡大を引き起こすほどの重大事件でした。各国の世論も沸騰し、世界大戦への導火線となったかもしれません。しかしながら、ネットの普及とともに情報戦の実態が明らかになりつつある今日、一般の人々も、たとえその発信源が政府であったとしても、あらゆる情報について懐疑的にならざるを得ません。今日、一方のみが発信した情報については、真偽を確かめないことには、対応することが難しい時代を迎えているのです。
戦争犯罪が確定してしまうような残虐行為をロシア軍が敢えて実行したとしたら、それ相応の理由や戦略的な計算があるはずです。ジェノサイドと認定されるような行為を行えば、プーチン大統領は犯罪者として処罰される可能性がありますし、これまで親ロシア的であった諸国も、ロシアから離れる事態も予測されましょう。戦後にあっては、ウクライナ側からの巨額の賠償金が請求されるかもしれません。ウクライナは、ロシアに対して凡そ70兆円もの賠償を請求するとの報道がありますが、国際法では、原則として民間人相互の被害については戦争の勝敗に関わらず、相手国に対して賠償請求権を持ちます。仮に、ジェノサイド認定された場合、ロシアは多額の賠償金を払わざるをえなくなるわけですので、今般の虐殺事件におけるロシア側のメリットは低いと考えざるをえません。
このようにロシア側においては、リスクを上回る合理的理由(メリット)が見当りませんので、同情報については、やはり中立・公正な機関による捜査を要するように思えます。明確なるジェノサイドの証拠となるような画像も公開されているわけではありませんし(捏造映像である可能性も完全には否定され得ない…)、また、ロシアは事実無根を主張しているのですから(ロシアも拒否できないはず…)、国際刑事裁判所ではなく、安保理、あるいは、総会の決議によって特別捜査委員会を設置するという方法もありましょう。
そして、この問題は、今後の国連改革にも少なくない影響を与えるかもしれません。ロシアによる侵略、並びに、戦争犯罪が叫ばれ、それが他国によるウクライナ支援の根拠とされている今日、国際司法制度の整備は急務であるからです。当然に、国際社会にあっても、司法の独立性が強く求められるとともに、それを実現する制度設計も必要となりましょう。ブチャ虐殺事件に対する冷静、かつ、司法の原則に沿った対応こそ、国際社会における法の支配の確立へのさらなる一歩を方向づけるのではないかと思うのです。