先日、自民党の安全保障調査会では、とりわけ野党勢力からの反発を恐れてか、‘敵地攻撃能力’という名称を反撃能力と変更した上で、政府に対して同能力の保有を促す提言案を了承したそうです。しかしながら、敵地攻撃能力の本質的な目的を考えますと、反撃能力という名称は相応しくないように思えます。
敵地攻撃能力とは、狭義には「弾道ミサイルの発射基地など、敵の基地を直接的に攻撃できる能力」として理解されています。2020年7月に当時の河野太郎防衛相が「イージス・ショア」の計画を停止した際における議論では、敵地攻撃能力には先制攻撃は含まれないと説明されておりました。今般の名称変更にあって、敢えて反撃能力と表現したのも、同能力からの先制攻撃の排除を意識してのことなのでしょう。しかしながら、敵地攻撃能力を反撃に限定してしまいますと、当然に、敵国からの第一弾のミサイル攻撃を受けてからしか、日本国側は敵地を攻撃することができなくなります。
仮に、第一弾を被弾した後でなければ反撃できないとなりますと、敵国は、日本国側のこのような’事情’をどのように利用するでしょうか。相手国の立場になって戦略的に考えますと、おそらく、’反撃’を受けないために、最初のミサイル攻撃によって、日本国の反撃能力を徹底的に破壊しようすることでしょう(もしくは、指揮命令系統上、反撃命令を出すことのできる国家中枢を攻撃…)。日本国側が反撃用のミサイル発射基地を建設していれば、先ずもって同施設が攻撃対象とされます。これでは、たとえ自衛隊がミサイル攻撃能力を備えたとしても、自ら敵国に標的を提供するようなものとなり、自国のミサイル基地(もしくは反撃体制・能力)が崩れ落ちるのを呆然と眺めていることになりかねないのです。仮に、敵地攻撃能力を反撃能力に限定するならば、SLBMを搭載した潜水艦を多数建造するなどして移動式の反撃基地を建造した方が、まだ日本国は反撃能力を温存することができましょう。
しかも、中国、ロシア、北朝鮮も核保有国ですので、対日攻撃の第一弾が核ミサイルによるものである可能性も否定はできなくなります。あるいは、核爆発や放射能汚染を引き起こすために、日本国内の原子力発電所を狙うかもしれません。これらの諸国には、戦争法や人道法等を誠実に順守する姿勢は見られませんので、多くの日本国民の命も失われることでしょう。自民党内の議論では、日本国が敵地攻撃能力を有すればむしろ周辺諸国(中国、ロシア、北朝鮮…)を刺激し、攻撃を受けるリスクが高まるとする結論に至ったとも報じられておりますが、想定される一方的第一撃の齎すリスクについては、全く無視されてしまったようなのです。敵地攻撃能力を反撃面に制限しますと、少なくとも対日攻撃の抑止力とはならないのです。
そもそも、敵地攻撃能力とは、広義においては敵国の領域内において同国を攻撃する能力を意味しており、古今東西を問わず、戦時にあっては凡そ全ての諸国が有していた能力です。戦後の日本国にあっては、憲法第9条の制約により専守防衛を旨としてきましたので、今日の敵地攻撃能力の有無の議論は、日本国が置かれている特別の事情によるものとも言えましょう。そして、反撃能力という名称変更も憲法上の制約によるものなのですが、戦争においてミサイルが重要な攻撃手段となるに至った今日にあっては、同能力の反撃面への限定は、致命的な意味を持ちかねません。ミサイル攻撃は、その破壊力が高く、かつ、同時に大量に使用される場合には、‘先手必勝’となる性質があるからです。言い換えますと、現代という時代がミサイル時代であるからこそ、先制攻撃、否、‘攻撃’という表現が国際法上の違法行為を連想させるならば先制防衛という名称を以って、敵地攻撃能力を認める必要性があるとも言えましょう。
このように考えますと、日本国は、先制防衛としての敵地攻撃能力を保有すべきなのではないでしょうか。日本国側による先制防衛権の発動の可能性は、周辺諸国に対して対日攻撃を躊躇させる抑止的な効果として働くことが期待されます。もっとも、今般のウクライナ危機のように、武力の先制行使は、国際法において一先ずは侵略行為の証拠と見なされますので、先制防衛の行使については、攻撃準備に入った相手国のミサイル基地、並びに、自国の領域に接近してきたSLBM搭載可能な潜水艦等に限定すれば、国際法上の問題は乗り越えることができるかもしれません。核保有による抑止力のみならず、核の運搬手段、即ち、ミサイルに対する抑止力を働かせるためには、敵地攻撃能力の名称は、反撃能力ではなく、先制防衛能力に変更し、その使用に条件を付した方が、よほど、周辺諸国から忍び寄る脅威に対する現実的、かつ、隙のない対応となるのではないかと思うのです。防衛や安全保障に関する議論では、タブーを設けることこそ、タブーなのかもしれないのですから。