万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

紛争の世界大戦化を防ぐには

2022年04月08日 10時19分58秒 | 国際政治

今般のウクライナ危機は、ロシアの脅威のみならず中国による台湾や尖閣諸島等への進攻という懸念をもたらしています。ウクライナ危機の場合、先日のロシア軍のキーウ撤退により、ロシアがウクライナという国家そのものを軍事占領する可能性は低くなり、第三次世界大戦への拡大リスクも低下したようにも見受けられますが、今後の中国による侵略、並びに、第三次世界大戦への誘導(三次元戦争のケース)を事前に阻止するための備えは喫緊の課題です。

 

とは申しますものの、国連の枠内であれ、枠外であれ、国際犯罪国家に対する軍事力の行使が、たとえそれが国際法の執行行為であったとしても、平和と戦争との間に解きがたいジレンマをもたらすことは、昨日の記事で述べました。将来の方向性としては、国連の終焉(ロシアの国連人権理資格停止は、国際聯盟時代のようなロシア除名の予兆…)、並びに、国連の機構改革の凡そ二つがありましょう。そこで、本日は、後者について述べてみることとします。

 

それでは、国連は、法の執行機関について、どのように改革すべきなのでしょうか。先日、権力分立の原則を組み入れるべき旨の記事を書きましたが、国際法の執行機関の確保という課題につきましては、先ずは、紛争の解決手段として武力が行使された場合、一先ずは、これを平和的手段による解決を義務付けている国際法に対する違法行為と推定し、それを止める警察機能を担う執行機関の設立案からプローチしてみることとします。

 

第1のメリットは、軍事力を行使する地理的範囲の限定化です。武力行使は、特定の国家による他国に対する侵害行為に端を発しますので、発生当初にあっては、戦場は被害国の領域に限られています。ところが、被害国側が他国と軍事同盟を結んでいますと、第一次世界大戦、並びに、第二次世界大戦の事例が示すように、同盟各国の連鎖的な参戦によって瞬く間に戦火が全世界の諸国に広がり、国家・国民を上げた総力戦となると共に、全ての国が戦場になり、破壊を受ける可能性があり得ます。その一方で、国際法の執行行為であれば、軍事力という強制力が行使される地理的範囲は、侵略が行われている地域に留めることができます。あくまでも、’執行部隊’の活動の範囲は、原則として侵略地に限定されることになるのです。

 

第2のメリットは、戦闘行為のエスカレートの防止です。’執行部隊’が達成すべき任務は、戦争における勝利ではなく、中立的な立場から(1)戦闘状態にある両軍の間に立ちはだかって兵力を引き離す、(2)侵略軍が一方的に進軍、あるいは、攻撃している場合にはそれを阻止する、(3)侵略軍を押し戻し、被害国の領域外に追い出す…等が主たる役割となりましょう。目下、米軍をはじめNATO諸国は、武器の間接的貸与という形であれウクライナを支援していますが、’執行部隊’の場合は、被害国に加勢するのではなく、あくまでも、’同部隊’に託された任務を遂行するに留まります。

 

第3のメリットは、民間人の犠牲者を極力減らすという点です。’執行部隊’による軍事行動の主たる任務は、兵力の引き離し、侵略軍の進軍阻止、並びに、侵略軍の被害国領域内からの追放ですが、こうした任務は、現地の住民保護の役割をも兼ねます。これらの任務は、いわば、’執行部隊’が’盾’となることを意味しますので、住民は、侵略側であれ、被害側であれ、何れの軍隊から略奪、暴行、虐殺を受けるリスクが著しく低下するのです。住民と軍隊が直接に接触することもなくなるからです。

 

第4のメリットは、事後的な処理や真偽の確認等も容易となることです。侵略を受けた地域は一時的であれ’執行部隊’によって管理されることになりますので、中立・公平な立場からの事後的な検証が可能となる状況が提供されます。戦場において行われた虐殺行為等の戦争犯罪についても、一方に偏ることなく証拠等を収集し、真相を明らかにすることができることでしょう。この側面は、ロシアが自国の軍事行動について人道的介入、即ち、ウクライナのアゾフ大隊に対する国際法上の正当防衛を主張した今般のウクライナ危機のように、双方が自国の合法性を主張したため、戦争の発端が曖昧なケースにおいても効果的です。紛争地域が’執行部隊’の管理下にあれば、事後的であれ、中立・公平な機関によって真相が究明されることとなりましょう(同捜査機関は、’執行部隊’とは別に設置…)。なお、報じられているようなウクライナ検察との協力に基づく国際刑事裁判所の調査では、完全に独立的な立場にはありませんので、公平性が欠けているように思えます。加えて、ウクライナのような複雑な歴史を辿ってきた多民族混住地帯にあっては、改めて今後の統治体制について当事者たちが協議し、平和的な手段で解決する機会を準備することとにもなりましょう。

 

以上に主たるメリットを述べてきましたが、制度的に中立・公平性が保障された’執行部隊’あるいは’執行機関’をどのように結成するのか、といった問題はありましょうし、陸海空における戦闘のみならず、ミサイル攻撃に対する有効な対処方法も検討してゆく必要もありましょう(被害国に対するミサイル迎撃システムの貸与・配備…)。また、今日にあって、軍事面における研究・開発は攻守の二面を中心としてなされてきましたが、円滑、かつ、効果的な兵力引き離しや攻撃停止等を可能とするための新たな戦術や先端的なテクノロジーの研究・開発も必要とされるかもしれません。詰めてゆくべき点は膨大な数に上りますが、それでも、破滅的な第3次世界大戦を避ける努力を、人類は惜しんではならないと思うのです(もちろん、本案は試案に過ぎず、他の方法や国連なき安全保障の在り方についても考えてみる必要がある…)。


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国連は’第三次世界大戦’を想定していた?-戦争と平和のジレンマ

2022年04月07日 14時44分27秒 | 国際政治

 今般のウクライナ危機ほど、国連の無力さを晒した出来事はなかったかもしれません。安保理において事実上の’拒否権’を有するロシアという常任理事国が当事国となったのですから。しかしながら、よく考えてもみますと、国際の平和の維持に責任を負う国連という組織は、その構想において’第3次世界大戦’を想定していたとも言えるかもしれません。

 

 国際連盟、並びに、国際連合という組織の基本構想は、全世界の諸国を含む包括的な枠組みにおいて全ての諸国の安全と平和を護ろうというものです。従って、その仕組みは、全メンバーの包摂性においては国家の治安維持の仕組みと共通していると言うことができます。すなわち、犯罪行為を禁じる法律(刑法)の存在を前提として、メンバーの内の一人でも違法行為や犯罪を働いた場合、合法的な物理的強制力(軍事力)の行使が許されている公的な機関が取り締まりを行うというものです。国連の場合、権力分立の原則を取り入れずに設計されたため、司法が政治に従属してしまい、中立・公正な立場からの紛争の解決が困難となっていますが、その基本構想にあっては、たとえ局地的な紛争であっても、国連に加盟している全世界の諸国は無関係ではいられなくなるのです(もっとも、国連憲章では、地域的枠組みを定めており、地方的紛争についてはブロックごとの対応を構想…)。そして、国連に込められた理想が実現されるならば、国連軍による犯罪国家に対しての戦いこそ、平和を実現するための軍事力の行使ということになるのです。

 

 ’戦争’という言葉の定義には諸説があるものの、こうした普遍的な組織による平和のための軍事行動=国際法の執行をも’戦争’の範疇に含めるならば、国連は、究極的には第3次世界大戦の発生を想定していたこととなります。何故ならば、国連軍が闘う相手となる’犯罪国家’が、被害国のみならず、他の諸国が団結して立ち向かってもかなわない程の抜きんでた軍事力を有する場合、あるいは、相当数の国家が’犯罪国家群’となって陣営を形成した場合、犯罪国家、あるいは、その陣営に対する国連軍の戦いは、世界大での’戦争’、即ち、’世界大戦’とならざるを得ないからです(国連憲章には敵国条項’が今なお残されており、第二次世界大戦時の対立構図や戦争観を引きづっていることも一因?)。

 

 ’犯罪国家’が処罰されるべきは、人類の普遍的な倫理において当然のことなのですが、ここに「国連構想の論理的・倫理的な帰結が’世界大戦’であることが望ましいのか」、という極めて悩ましい問題が持ち上がることとなります。’第3次世界大戦’ともなれば、終局的には核戦争にも発展しかねず、人類が滅亡するかもしれないからです。他国を救うために、全人類が滅亡しないまでも、暴力国家から攻撃を受け、多くの国民の命を失われると共に、国土が焦土と化す可能性があるのですから、このジレンマは深刻です。

 

 こうした観点から今日の国際社会の動きを見ますと、ウクライナを含む各国は、ロシアを’犯罪国家’と認定した上で、国連の枠外において国連の理想を実現しようとする動きが見られます(この場に至っては、NATOにおける集団的自衛権の問題はスキップされる…)。特にブチャ虐殺事件については、米欧のみならず、これまで親ロ派あるいは中立派と目されてきたインドや中国も懸念を示しております。4月5日に開かれた国連安保理理事会では、グテレス事務総長の独立的調査機関設置の訴えに対して、ロシアのみが賛意を示さなかったと報じられていますので、ロシアが’有罪’である可能性は相当に高いのかもしれません(もっとも、同危機がもともと茶番、あるいは、ロシア軍並びにウクライナ軍の双方または何れかにおいて、敢えて事件を造らせるために外部から忍び込まされている工作組織が存在しているといった可能性にも注意を要します…)。ブチャ虐殺事件を機に、日本国内でもウクライナ支援の声が高まっているのですが、日本国を含め、各国とも、その先に予測される多大な犠牲を受け入れる覚悟はあるのでしょうか。他国のため、否、国際法秩序の維持のために、平穏な日常が失われるのみならず、国土が破壊され、無辜の国民の命を奪われる覚悟が…。

 

 それでは、国際の平和と世界戦争との間に見られるこの深刻なジレンマ―戦争と平和のジレンマ―を解くことはできるのでしょうか。このままの状態では、第三次世界大戦へと拡大するシナリオも現実味を帯びてくるのですが、先ずもって、国連の機能不全によって幸いにももたらされた時間的余裕を有効に用いるべきかもしれません。国連の理想像に照らしますと、現実の国連が有する制度設計上の欠陥がむしろ’第三次世界大戦’を防いでいるという側面があるのは、何とも皮肉なことです。人類には、破滅的な’第3次世界大戦’を招くことなく、事態を収拾するために知恵を絞る時間がまだ残されているのです(つづく)。

 

 


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対ロ制裁は急ぐべきなのか?

2022年04月06日 15時54分28秒 | 国際政治

 ロシア軍によるウクライナ侵攻を受け、日本国政府は、米欧諸国と協調し、対ロシア制裁に舵を切ることとなりました。本日の報道によりますと、追加措置として、対ロ送金ルートを断つための仮想通貨(暗号資産)規制及び最恵国待遇の取り消しを可能とする二つの改正案の国会での早期成立を目指すそうです。こうした対ロ制裁は、侵略であれ、ジェノサイドであれ、ロシアによる国際法上の違法行為が根拠とされているのですが、矢継ぎ早の対ロ制裁にはいささか不安を覚えます。何故ならば、ロシアの軍事行動は、必ずしもその根拠が否定されているわけでも(ロシアは人道的介入を主張…)、また、犯罪行為についても事実として証明されているわけではありませんし、深く考える時間も与えられず、皆が一斉に同一方向に向かって走り出すときほど危ないときもないからです。

 

 今般のウクライナ危機が露呈したように、現状にあって国連の安全保障システムには限界があります。安保理常任理事国であるアメリカが世界の警察官の職を辞するとともに、今や、ロシアや中国といった暴力主義国家は、警察官から犯罪者へと転職してしまったかのようです。このため、国連憲章を厳密に解釈するならば、臨時的な措置であれ、同危機にあって、正当防衛を根拠として法的に軍事力を行使し得るのはウクライナのみとなります。ウクライナのみが、国連憲章第51条に基づいて、合法的に個別的自衛権を発動することができるのです(ウクライナは他のいかなる国とも軍事同盟条約を締結していないので、同国も他の諸国も集団的自衛権は行使できない…)。

 

 しかしながら、その一方で、日本国政府を含め、米欧諸国はロシアに対する制裁を強めると共に、ウクライナに対しては武器や備品等の供与などを実施しています。そして、ウクライナに対して積極的な支援を行う根拠とは、上述したように、各国政府がロシアの行為を国際法上の違法行為と認定しているからに他なりません。この説明からしますと、ウクライナ危機は、最早ロシアとウクライナという当事国間のみの問題ではなく、たとえ国連の枠組みにおいて対応できなくとも、国際社会が協力して対処すべき国際法秩序全体の危機ということになりましょう。言い換えますと、現実的な対応として、全ての諸国が’世界の警察官’となり得るということになります。

 

 国際社会の治安維持の観点からすれば、犯罪国家の行動の強制的な制止という意味において、全世界の諸国が’世界の警察官’の役割を担うのは、論理的にも倫理的にも正しいように思えます。現状はどうであれ、国際法自体は存続していますので、その執行を、機能不全が明確となった国連に限定する必要はないのかもしれません。将来にあって、各国が等しく警察機能の責任を担うとする案は、それが、司法行政の執行機関としての独立性が保証されるとすれば、国連改革、あるいは、国際システムの再構築に際しての一案ともなりましょう(軍事的には、発生時における迅速な双方の兵力引き離しや強制停戦等の任務…)。

 

 もっとも、本ブログにあって再三指摘しておりますように(聞き飽きたかもしれず、申し訳ありません…)、司法手続きの原則からしますと、今般のウクライナ危機に対する各国の対応には、中立・公平な警察・検察機関による調査や捜査といったプロセスが抜けております。いわば、ウクライナ側の主張のみに従って各国が主観的に事実認定を行っているのであり(日本国政府も、事実であることを証明するに十分な証拠を得ているとも思えない…)、この側面において手続き上の欠落があると言わざるを得ないのです。

 

 ’推定有罪’に基づく主観的な懲罰は、冤罪のみならず、過剰反応や事態の一層の泥沼化を招く可能性もありましょう。最悪の場合には、’悪魔国家’ロシアは人類の敵!’とばかりにロシア叩きが加速し、第三次世界大戦へと押し流されてしまうかもしれません。連日のマスメディアの報道ぶりは、あたかも世論を扇動しているかのようです。

 

 事実確認の作業を怠ったまままでの’戦線の拡大’は(両国を裏から操る黒幕が存在する可能性さえある…)、ロシア・ウクライナ戦争の法的根拠や大義にも疑義が挟まれる余地を与えます。また、イラク戦争のように、後々、その国際法上の合法性が疑われるリスクもありましょう(もっとも、当時のブッシュ政権は、大量破壊兵器の開発・保有の確たる証拠を掴むべく、フセイン大統領に対してIAEAによる無条件査察を要求するなど、少なくとも’イラク有罪’の立証には努めている…)。このように考えますと、ウクライナ危機への対応については、第三次世界大戦への道へと追い立てられない、あるいは、戦争利益の発生を防ぐためにも、一先ずは事態を見極め、慎重に構えるべきように思えるのです。


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国連改革も権力分立の観点を要するのでは?-司法の独立性の強化

2022年04月05日 15時44分43秒 | 国際政治

権力分立とは、近代国家の統治機構上の大原則とされています。モンテスキューが『法の精神』において述べたように、とりわけ司法の独立性は、人々の基本的な自由と権利を護る砦の役割を果たしているからです。この文脈における独立性とは中立・公平性を意味しますので、司法権が政治機関に従属しますと、為政者によっていとも簡単に国民の自由や権利が侵害されてしまいます(犯罪者が無罪となり、無実の人が有罪に…)。こうした権力分立の重要性に鑑みますと、今般、取り沙汰されている国連改革についても、権力分立の観点を要するように思えます。

 

 報道によりますと、ロシアによるウクライナ侵攻を機に、日本国政府は、国連改革にも積極的に取り組むようです。国連は、同危機に対してあまりにも無力でしたし、しかも、常任理事国による’侵略’は、同制度にあっては想定外の”あり得べからざる出来事”であったからです。もっとも、提言されている改革の内容を見ますと、安保理における常任理事国の拒否権の制限・撤廃や常任理事国のメンバー拡大など、安保理改革に焦点が当てられており、国連システムそのものの包括的な機構改革を目指したものではないようです。日本国もまた、本当のところは、かつての国際聯盟にあって占めていた常任理事国の席を回復したいというのが本音なのかもしれません。常任理事国のステータスは確かに魅力的なのでしょうが、日本国が国際社会にあって真に人類に貢献し、かつ、尊敬を得ようとするならば、それは、常任理事国という特権的な地位を獲得することではなく、権力分立の原則に基づく国際機構の再設計を唱えるべきように思えます。

 

 機構改革において先ずもって着手されるべきは、司法の独立性の確立かもしれません。その理由は、今日、国際的な紛争等が起きるたびに、ますます国際法における合法性が問われるに至っているからです。アメリカをはじめとする米欧諸国によるウクライナ支援も、ロシアによる侵攻を国際法上の侵略行為とみなしているからに他なりません。憲法第9条による制約がありながら、日本国政府がウクライナを支持し、対ロシア制裁に加わる理由も、ロシアによる違法行為が国際法秩序を崩壊の危機に晒すためと説明されています。こうした現状に鑑みますと、今日の国際社会は、司法面における改革、即ち、法の支配の基礎となる司法の独立性の制度的な確立こそ求められていると言えましょう。

 

現行の制度では、同裁判所が発した仮処分や判決の最終的な執行は、国連安保理という政治機関に委ねられているものの、現実には、たとえ裁判所において戦争犯罪の罪が確定されたとしても、同裁判所には強制執行力が備わっていませんので、政治的な決定によって判決内容が実現しない事態はあり得えます。残念なことに、安保理が、常設仲裁裁判所を含めて国際司法機関の判決を執行したという事例を過去に見出すことはできません。そこで、司法の独立性を確立するためには、凡そ以下の3つの強制力を行使し得る制度改革を要します。

 

第1の強制力は、仮処分命令を実現するためのものです。国際司法機関が、現在進行中の危機に介入し、国際法上の違法と見なされる行為を行っている国や組織に対し、被害や損害の拡大を止めるために同行為の停止を仮処分として命じた場合に必要とされる強制力です。この命令は、ウクライナ危機に際して国際司法裁判所が発しましたが、ロシアによって完全に無視されています。第2の手続きとは、国家の制度では、検察機関による捜査に当たります。裁判に先立って、検察は、起訴のために中立・公平な立場から当事者双方に対して関係者の事情聴取や証拠集めなどを行うのですが、必要とあらば強制力を行使する必要があります。そして、第3の手続きは、裁判所の判決に基づく刑の執行です。上述したように、強制力を以って判決が確実に執行されなければ、司法制度も結局は無意味となりましょう。

 

 以上に、司法の独立性の確保に向けた制度改革に伴って必要とされる3つの強制力を要する手続きについて述べましたが、ここまで読み進めまして、限りなく不可能に近いと思われる方も少なくなかったのではないかと思います。もっとも、先日、本ブログで述べましたように、国際司法機関の仮処分、並びに、判決については、当事国がこれを拒否した場合、安保理が執行機能を担うという方法もありましょうし(このケースでは、常任理事国であっても’拒否権’は使えない…)、国家の機構と同様に、より独立性を高めるために別途執行機関を新設するという案もありましょう。

 

中国といった共産主義国では権力分立の原則さえ否定されておりますので、これらの諸国による妨害行為も予測されますが、人類の知性並びに良心に照らせば、国際社会から暴力を排し、紛争の平和的解決を制度的に保障するためには、国際機構における司法の独立に向けた改革が必要であることは誰もが理解するところです。また、国連機構の改革については、安保理の専権事項でもありませんので、日本国政府を含むいずれかの国が提案すれば、国際社会において議論が始まる可能性もあります。そして、司法の独立性の強化は、国際社会における警察機能(現在、アメリカが辞任し、ロシアや中国にも任せることができない…)、さらには立法機能(一般的な行動規範の策定…)の問題にも波及することとなりましょう(議論が広がりすぎますので、本日は、司法面に留めることといたします…)。国連改革については、’どのような原則に基づき、どの方向に向けて変えるべきなのか’という問題こそ、問われるべきではないかと思うのです。


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ブチャ虐殺事件にどのように対応すべきなのか?-独立した捜査の必要性

2022年04月04日 13時25分12秒 | 国際政治

 ロシア軍の撤退に伴い、キーウ近郊のブチャ近郊にて殺害された多数の民間人の画像が多くの人々に衝撃を与えています。子供を含む民間人が惨い姿で虐殺されたとされており、これが事実であれば、戦争犯罪であることは疑いようもありません。それでは、この虐殺事件に対しては、どのように対応すべきなのでしょうか。

 

 ウクライナのゼレンスキー大統領がジェノサイドとしてロシアを糾弾するのみならず、同国を支援しているアメリカのブリンケン国務長官も、早々にロシア軍による戦争犯罪を追及する姿勢を示すとともに、ドイツのショルツ首相やイギリスのジョンソン首相なども同様の見解を示しています。もっとも、戦争犯罪追及に関する具体的な行動については、それぞれ相違が見らます。

 

 報道されている限られた情報からしますと、ブリンケン国務長官は、「戦争犯罪を裏付ける証拠を収集し、ロシア軍の責任を追及していく」としており、同虐殺事件において証拠集め、即ち、捜査を実施する組織については言明していないようです。アメリカが捜査主体となるとも解されますが、少なくとも証拠収集の必要性については言及しています。その一方で、イギリスのジョンソン首相は、「戦争犯罪が行われている証拠だ。国際刑事裁判所による捜査を率先して支援する」との声明を発表しており、捜査機関として国際刑事裁判所という具体的な国際司法機関の名称を挙げています。

 

 米欧諸国がロシアの戦争犯罪を追及する姿勢を強める中、同事件に衝撃を受けた一人である国連のグテレス事務総長も、「独立した調査によって、説明責任がしっかりと果たされることが不可欠だ」と述べています。同事務総長が、捜査機関として国際刑事裁判所を名指ししなかったのは、ロシアが同規定の未加入国という現状を考慮してなのかもしれません(中国やアメリカも未加入…)。何れにしましても、同発言は、虐殺事件に関する捜査機関について、改めて‘独立性’を強調した点において注目されましょう。何故ならば、ロシアのプーチン大統領は、ロシア軍の虐殺行為についてこれを真っ向から否定しているからです。

 

 一昔前であるならば、虐殺事件の報は、戦線の拡大を引き起こすほどの重大事件でした。各国の世論も沸騰し、世界大戦への導火線となったかもしれません。しかしながら、ネットの普及とともに情報戦の実態が明らかになりつつある今日、一般の人々も、たとえその発信源が政府であったとしても、あらゆる情報について懐疑的にならざるを得ません。今日、一方のみが発信した情報については、真偽を確かめないことには、対応することが難しい時代を迎えているのです。

 

 戦争犯罪が確定してしまうような残虐行為をロシア軍が敢えて実行したとしたら、それ相応の理由や戦略的な計算があるはずです。ジェノサイドと認定されるような行為を行えば、プーチン大統領は犯罪者として処罰される可能性がありますし、これまで親ロシア的であった諸国も、ロシアから離れる事態も予測されましょう。戦後にあっては、ウクライナ側からの巨額の賠償金が請求されるかもしれません。ウクライナは、ロシアに対して凡そ70兆円もの賠償を請求するとの報道がありますが、国際法では、原則として民間人相互の被害については戦争の勝敗に関わらず、相手国に対して賠償請求権を持ちます。仮に、ジェノサイド認定された場合、ロシアは多額の賠償金を払わざるをえなくなるわけですので、今般の虐殺事件におけるロシア側のメリットは低いと考えざるをえません。

 

 このようにロシア側においては、リスクを上回る合理的理由(メリット)が見当りませんので、同情報については、やはり中立・公正な機関による捜査を要するように思えます。明確なるジェノサイドの証拠となるような画像も公開されているわけではありませんし(捏造映像である可能性も完全には否定され得ない…)、また、ロシアは事実無根を主張しているのですから(ロシアも拒否できないはず…)、国際刑事裁判所ではなく、安保理、あるいは、総会の決議によって特別捜査委員会を設置するという方法もありましょう。

 

そして、この問題は、今後の国連改革にも少なくない影響を与えるかもしれません。ロシアによる侵略、並びに、戦争犯罪が叫ばれ、それが他国によるウクライナ支援の根拠とされている今日、国際司法制度の整備は急務であるからです。当然に、国際社会にあっても、司法の独立性が強く求められるとともに、それを実現する制度設計も必要となりましょう。ブチャ虐殺事件に対する冷静、かつ、司法の原則に沿った対応こそ、国際社会における法の支配の確立へのさらなる一歩を方向づけるのではないかと思うのです。


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支配欲という元凶

2022年04月01日 18時26分24秒 | 国際政治

 この世は、トラブルに満ちています。国家間関係から個々の間の私的関係に至るまで、あらゆる空間で絶えることなき争いや対立が続いているのが人間社会の常のようです。今この瞬間も、ウクライナの地では戦闘が続き、アジアの軍事大国中国は、台湾を自国に併呑すべく虎視眈々と狙っており、平和とは、人類の手の届かない理想であるかのようなのです。それでは、何故、集団と集団、あるいは、人と人とは、敵対関係に陥るのでしょうか。

 

 徐々にではあれ、対立関係をなくしてゆくためには、先ずもって対立が生じる原因や基本的な構図を理解しておく必要がありましょう。対立要因は個々のケースによって様々なのですが、それをパターン化して捉えてみますと、その一つに、特定の主体による他者に対する一方的な支配欲によって引き起こされるものがあります。普段は取り立てて意識されないのですが、このパターンは、ここかしこに見られます。

 

 支配とは、一方の意思が他方に押し付けられる状態を凡そ意味しています。この状態に至りますと、他者の意思を押し付けられた側には、たとえ自ら自身の運命に関わる事柄であっても、決定権を持つことはできません。両者は支配・被支配の関係となり、支配者の意思が他者の行動等をも決定することとなります。支配・被支配の関係は、被支配の側にとりましては、支配者によって自由=自己決定権を奪われた格好となるのです。

 

 このように、支配とは、外部者の意思の一方的な’押し付け’を伴うのですが、自らの意思を他者に強要するに際して、最も一般的に使われてきた手段は、古今東西を問わず、物理的な力というものでした。力の行使が他者に対する強制力となり得ることは、誰もが自らの経験を通して知っているはずです。力を以って強要される場合、その対象となった人々には、自らの力でそれを跳ね返して自らの自由を確保するのか、何らかの代償を払うことで自由を’許可’してもらうしかなくなるのです。

 

ところが、人は、その根源的な志向として自己決定、即ち、自由を求めるものですので、誰もが、他者から力を背景に自らの行動等を制限されたり、自らが望まない行為を強要されるのを本質的に厭います。自らが支配者の立場にある人を除いて、大多数の人々は、他者の意思に従いたくはないのです。言い換えますと、支配・被支配の関係が政治体制、あるいは、社会秩序として成立している世界は、大多数の人々にとって生きづらく、’変えたい世界’なのです。

 

このことは、他者の自立性=自己決定権を尊重することの重要性を意味しています。悪の定義とはそれほどには難しいわけではなく、利己的他害性として理解されますので、支配・被支配の関係は基本的には悪しき関係となりましょう。今日にあって支配の手段は物理的な力に限らず、より巧妙化していますが、それでも、現代という時代の国際社会を見ますと、力によって他国の権利を侵害しようとする国は存在しています。侵略戦争とは、まさに力によって特定の国が他国に対して自らの意思を押し付ける行為に他ならないのです。何故、侵略が国際法において罪とされる悪なのか、という理由を問いますと、他国の自立的決定権を含む主体性を否定し、自らの意思を押し付けることができる従属的な’客体’としてしまうからなのでしょう。

 

本日は、いささか理屈っぽい記事となりましたが(あるいは、あまりにも当たり前のことをつべこべと述べているだけかもしれない…)、今日の国際社会にあって平和を実現しようとするならば、先ずもって、支配・被支配関係を是とする価値観を地球上から消し去ってゆく必要がありましょう。ロシアであれ、中国であれ、そして、戦争というものを背後から操る超国家権力体であれ、先ずもって、ウクライナや台湾、そして国家というものの主体性(法人格)を認め、何らかの要求がある場合には、対等な立場での交渉を以って合意を形成するか、あるいは、法に照らして対立を解消すべく国際司法の場に解決を求めるべきなのです(仮にロシアが自らの軍事行動を正当化するならば、それを法廷の場で証明する必要がある…)。暴力主義の国家や組織がその悪しき価値観から脱却しない限り、地球上から侵略戦争、および、支配・被支配の関係はなくならないのではないかと思うのです。


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