甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

山と海と川に囲まれた三重県と外の世界

2020年04月05日 10時27分40秒 | 街道を歩こう!

 私は三重県に住んでますから、山の中に入って行くと(外に出るには山を越えないと出られません)、どこかからの街道に出会います。ずっと南の方の熊野古道だったり、紀州のお殿様が大名行列をした和歌山街道、伊賀と伊勢をつなぐいくつもの峠道、滋賀県には鈴鹿峠を越えて行かなくてはならない東海道、そこからいくつか派生する道、関西線が走ってる亀山と伊賀をつなぐ道、三重県の北西側には鈴鹿山脈ががっちりそびえているので、そこを通り抜けていくいくつかの道(他にもびっくりするようなマイナーな街道はありますけど、省略します)があります。

 山だけではなくて、愛知県の県境には三つの巨大河川、こちらはなかなか乗り越えられなくて、昔は桑名と熱田神宮との間は、船で行かなくてはなりませんでした。それ以外に川を渡る手段はなかったのでしょう。だから、信長さんもてこずった長島の一向宗の人たちは、川の中に別天地を作ることができたのです。

 三重県は、山に囲まれていて、そこから抜けるには峠越えをしなくてはならなかった。巨大河川は連絡船のルートをたどるしかない。けれども、特急ルートがあって、三重県南部の尾鷲というサカナと木材の産地の街は、船で直接江戸につながっていて、江戸から来たものが地元の名家の蔵にはたくさん収められていて、一度それらのオモチャを見せてもらいに行ったこともありました。そういうつながりもかつてはありました。



 私は、三重県と外の世界というのを考えています。何しろこのコロナの騒ぎですから、何もしなかったら、三重県に住んでいる外国の人たちがウイルスを持ち込んだはずでした(今さらながら、自分の偏見が恥ずかしいです)。でも、たくさん住んでいる中国の人たちは、もう昨年末あたりにちゃんと対応策を立て、自衛し、考え、危ない所には行かず、自分たちの生活を守っていた雰囲気です。

 だから、三重県在住の外国の人たちは、ちゃんと生活している。危ないのは、自分は大丈夫と思っているよそで生活している人たちです。

 「どれ、伊勢神宮に神頼みでもするか、クルマで行くなら、人とも接しないだろう」

 「やあ、たまにはいつもとは違うコースで回ってみて、おいしいもの食べて、温泉に入って帰って来よう(山の中にはたくさんのゴルフ場がありましたが、いくつかはつぶれて太陽光発電所になってたりします)」
 「仕事で、工場が三重県にあるので、そちらに出張してきます」
 「三重県でスポーツ講習のイベントがあるから、そちらに行ってみます」

 どれも、仕方がないことなんですけど、来てもらって、たまたまその人が感染しているのが分かったら、三重県では大騒ぎで、学校の休校がさらに伸びたり、マスク・テイッシュその他の物不足が続き、スーパーも買いだめする人で落ち着きがなく混んでいます。みんなキリキリしながら買い物してたりします。

 ガソリンは値下がりして、店によって値段が違うから、安いところがやたら混んでいたり、みんな節操なく現実に流され生きている感じです。もちろん私もその場だよければよくて、もともと何も考えない場当たり的な私だったのに、さらに刹那主義になっています。こんなので本当に大丈夫なんだろうか。


 伊勢本街道のことを書こうとしていました。

 大阪から、今なら近鉄に乗るか、名阪国道にするか、京都方面からだったら、名神・新名神でビューンと一時間と少し三重県に来てしまいます。電車だともう少し時間がかかります。

 そういう今のルートは、何度も利用しているので、わずわざ書くほどのことはありません。

 でも、昔の人、近世の人々なら、どんなにして伊勢の国をめざしたんでしょう。

 近世初期は、誰も伊勢の国なんかに行きたくないし、行けなかったと思われますが、江戸後期(中世でも信仰の道はあったかな?)になると、伊勢神宮へ行くとか、熊野三山に行くとか、信仰の道はあったという気がします。経済の道は、すべて海ルートで、ストレートな江戸とのつながりはあったでしょうか。

 また、北前船のルート(ネットワーク)もあったので、三重県の熊野灘に面した小さな町で生まれた河村瑞賢という人は、江戸で成功して、そのまま経済のネットワークを完成させ、昨年の夏、私は山形県の酒田に行ったんですけど、そちらではかなり持ち上げられていました。それなのに、河村瑞賢さんの出身地である三重県のことは知られていない感じでした。

 伊勢湾の漁民で、たまたま難破して、ロシアまで流れていき、そこから苦労して日本へ帰還した大黒屋光太夫という人もいました。

 大冒険した人はともかく、三重県の外にいる人たちには、三重県なんて、伊勢神宮くらいしか目立ったものはないようです。

 三重県の人も、伊勢神宮と鈴鹿サーキットとホンダの工場、シャープの工場、東芝の工場、美和ロック、いくつかの工場、伊勢茶、忍者くらいしか、よその人に気に入ってもらえるものがないと思っています。

 確かにそうかもしれないし、三重県は旅するところではないのかもしれない。

 でも、何の気なしに訪れてみたら、なにやらゆかし(好奇心を刺激する世界)があるような気もします。


 私は、三重県在住30年ですけど、古いものがわりとゴロゴロそこら辺にあって、当たり前に人々もそれらを受け入れ、何となく古びたものと、新しいものが混在していて、わりとゆったりした世界があるような気がしています。

 外からの人には、新しいものは見つからないから、そういう人は来なくていいのかもしれません。ガッカリするだけだろうし、古いものと近代のものとのコラボレーションがあって、でも少しわびしい、みたいなものを見る分には、それは楽しいと思うんだけどな。

 もうピカピカのものは要らないです! でも、せめてキレイで大きな野球場とサッカー場くらいは欲しいんだけど、誰もそんなの欲しがっている様子はなく、名古屋や大阪のそういうところに行き、適当に楽しんでいるみたい。まあ、無理してそんなの作らない方が未来的なのかもしれないな。 
 

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