リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

人生は説明できないことが多過ぎ

2017年06月06日 | 日々の風の吹くまま
6月4日(日曜日)。晴れ。朝、ベッドの中で今日は何をしようかと考えるようになった。仕事
に根を詰め過ぎると箍が締まり過ぎて外れなくなるのは昔からだけど、胸突き八丁の連続
だった仕事漬けから解放されてほぼ1ヵ月。その間に家族が入れ替わりで泊まって行ったり
して、2人だけの日常が戻ってから10日弱。カリカリからバタバタを経てやっとダラダラに到
達したと言うところ。今年はもう去年の8ヵ月分を稼いでしまったし、6月と7月はいつも暇な
時期だから、目標の「ご隠居さん85%」を実現できるかな。(目論見どおりなら今頃は90%
になっているはずなのに80%がやっと。)

数え年で古希だというのに何をやってんだかと我ながら呆れるけど、仕事をするのが好きな
のかもしれない。(専業主婦になれる資質がないし・・・。)もっとも翻訳(通訳)という仕事が
好きでたまらないというわけじゃなくて、周りから押されて、引っ張られてこの道に入ったら
けっこうモノになったし、何よりもひとり商売が性に合っていたというのが本当のところだと思
う。高卒(今どき流に言えば「無学歴」)のワタシがろくな営業もせずにどうしてあんなバカ稼
ぎができたのかは自分でも説明できないけど、自分の意思で日本を離れたからには1人に
なっても生きて行けるようでなければならないと(ある意味で強迫観念のようなものだったか
もしれないけど)肝に銘じていたのが駆動力になったんだと思う。

なんてことをつらつらと考えているうちに1日が過ぎるのも悪くはないな。人生ってほんとに
おもしろいもんだと思う。言葉と文化の違いで苦労したと言う実感がないし・・・と言うよりも、
何となくけっこう羽を伸ばして楽しく生きて来たような気がする。もちろん「つらい」ときだって
あったんだけど、いつも助けてくれる人たち、支えてくれる人たちがいたから、みんな「ああ、
あのときは・・・」と思い出す程度の記憶でしかなくなっているから不思議。ワタシってやっぱ
り昔からあちこちで言われて来たように変わった人間なのかな。それとも単に幸運に恵まれ
ていただけなのか。

どっちにしても、ワタシの人生、自分で「どうやって(How)」を説明できないことが多過ぎる
感じ。自分ではひとつひとつのことにまじめに対処して来たつもりだし、がんばったなあとは
思うんだけど、ほんとのところはどうなのか。こればっかりは誰かに聞いてみないとわから
ないかも・・・。