リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

誰が行かなかった道なの?

2018年04月01日 | 日々の風の吹くまま
3月31日(土曜日)。晴れ時々曇り。3月も今日でおしまい。今年の3月はことわざの通りに
子羊の如くそぉ~っと去って行く、と。連休2日目で、クィーンズパーク地区のあちこちにピン
ク色のもやもやが見えるのは、桜が満開になったのかな。我が家の桜も「満開」。たった2つ
だけど、揃っていっぱいに花びらを広げて春爛漫・・・。
   

小町横町に『選ばなかった道』という、30歳のときに見合いでのプロポーズを受けていたら、
今頃は孫がいたかもしれないし、少なくとも両親に花嫁姿を見せられたのにと嘆いているト
ピックがあって、前置きが「あのときにあの道を選択していたらと、誰でもそう思うことはある
はず」。たしかに「もしもあのとき」と過去を振り返ることのよくあること。でも、自分の意思で
選択から外したことを後で悔やんでもしょうがないと思うんだけど、人間は「あのとき」に別
の道があったことを覚えているから、特にどっちとも決めかねて、散々迷って、悩みに悩ん
だ人ほど「選ばなかった道」の記憶がいつまでも鮮明に残るものらしい。

で、何年、十何年も経った「今」の状況に照らして「あのとき」の選択が良かったかどうかを
評価することが多くて、その「今」に不満だったり失望したりしていると、何であのときあっち
の道を選ばなかったのか、と悶々とすることになる。でも、人生って木のようにどんどん枝分
かれするから、長く生きていると「あのとき」がすごい数になって、どこで選択を間違えたか
なんて分からなくなるんじゃないかと思うけどね。ワタシが好きなフロストの有名な詩『The
Road Not Taken』は日本語では『行かなかった道』と訳されているけど、「taken」の解釈に
よって2つに分かれた道の選択が入れ替わるからおもしろい。

つまり、日本語では「自分が行かなかった道」(あのときに選ばなかった道)と取れるけど、
英語では「まだ誰も行っていなかった道」(あのとき自分が選んだ道)と取れて、前者の解釈
だと小町トピックの後悔のため息がぴったりする。でも、岐路のどっちを選んだ(選ばなかっ
た)にしても、英語でも日本語でも、最後の行の「And that has made all the difference」
(そのことがどれだけ大きく私の人生を変えたことか)という結論に行き着くのは、それこそ
が良くも悪くも人生の選択の普遍的な結末だからと言えるんじゃないかな。そういえば、「人
生について学んだことすべてを3語でまとめられる。それはIt goes on(人生は続いて行く)」
と言ったのもフロスト・・・。