5月31日(水曜日)。☁⛅🌤。今日で5月がおしまい。起床は午前8時。けさもリビングにヒーターが入っていて、何となく寒い感じ。朝ご飯もそこそこに、カレシは9時から英語レッスン。ミャンマーの21歳の女性で、大学生で物理学を勉強中。家族が揃って医者やエンジニアなんだそうで、あの国ではエリート層に属するのかな。英語の文法の知識はあるから、しっかりした文章を書けるけど、発音がまだまだで、会話は苦手だそうで、繰り返し、繰り返し、発音の練習。ベトナムやタイの生徒さんもそうだけど、英語にはそれぞれの母語にはない音があるから、聞いただけでまねて発音するのは難しいらしい。
ひと仕事終わって、ウォーキングに行って来たら、今度は11時からドイツのエスターのレッスン。いつもは月曜日なんだけど、マッサージ療法士の仕事が忙しいことが多くて、よく時間が変更になる。でも、夫氏のハインツに先立たれて、突然ひとり暮らしになってしまったエスターにとっては、仕事が忙しいのはいい事だと思う。客筋に介護ホームがいくつかあって、そこからお声がかかるんだそう。去年亡くなったお母さんから相続したハンガリーのブダペストの家が売れたそうで、後はハインツから相続したハンガリーの貸別荘とハインツと旅行して回ったキャンピングカーが売れたら、相続関係の諸手続きは一段落。夏までには生活も落ち着いて仕事に専念できそうだと、元気な声。カレシがリタイアしたらいいじゃないかと言ったら、「まだ若いのに、とんでもない」と言う返事が返って来た。そっか、まだアラカンだもんね。
ワタシは午後から、戯曲の翻訳のバージョン3の最終的な見直し。言葉遣いで、ジェンダーや関係性、社会的地位や年齢といった背景がもろにわかってしまうから、日本語の話し言葉は難しい。でも、芝居の脚本としては東京の先生に褒めていただいたバージョン1よりさらに向上したと思う。見直しが終わったら、Y君にプロの役者の視点で読んでコメントしてもらって、最終バージョンに仕上げて、翻訳の部分は完了。問題はその先の売り込みだけど、ある程度のつてもあることだし、大胆不敵のひとがんばりで行くっきゃないな。訳者(ワタシ)の名前は、英語名前だと違和感を持たれるんじゃないかと思って、日本名としても通用するファーストネームだけを使ってみることにしようかな。小説とかじゃないんだから、芝居をする人たちが使う台本なんだから、実際に上演されることになってポスターを作るとしたら、その方がおもしろそうだという気がするんだけどね。ま、それはまだまだ先の話・・・。
この作品は音楽を通して喪失感や挫折感を癒して、不運や不幸が奪った人生を取り戻すと言うもので、突然の事故で夫と子供を亡くしてひとりになった女性にエスターが重なり、さらには愛する息子の病死で悲嘆のどん底にあった友だちの姿が重なり、もしかしたらクルーズ中のあの突然の出来事でカレシを失って、ひとりで誰もいない家に帰って来たかもしれなかった自分のことまで連想して、さらには女性の開放感を渇望する気持の根底にある夫婦の形にまで思いを馳せて、しまいには結婚式の「死が2人を別つまで」という誓いがいつかは必ず現実になるのだということを実感したりして、ほんとにもう考えること、学ぶことが多くて、ワタシ自身の人生もこの年になってやっと視野が開けたような気がする。やって良かった。愛する人や夢を失って喪失感や挫折感と闘っている日本の人たちにぜひ観てもらいたいな。じゃ、次のステップ、がんばろうっと。
ひと仕事終わって、ウォーキングに行って来たら、今度は11時からドイツのエスターのレッスン。いつもは月曜日なんだけど、マッサージ療法士の仕事が忙しいことが多くて、よく時間が変更になる。でも、夫氏のハインツに先立たれて、突然ひとり暮らしになってしまったエスターにとっては、仕事が忙しいのはいい事だと思う。客筋に介護ホームがいくつかあって、そこからお声がかかるんだそう。去年亡くなったお母さんから相続したハンガリーのブダペストの家が売れたそうで、後はハインツから相続したハンガリーの貸別荘とハインツと旅行して回ったキャンピングカーが売れたら、相続関係の諸手続きは一段落。夏までには生活も落ち着いて仕事に専念できそうだと、元気な声。カレシがリタイアしたらいいじゃないかと言ったら、「まだ若いのに、とんでもない」と言う返事が返って来た。そっか、まだアラカンだもんね。
ワタシは午後から、戯曲の翻訳のバージョン3の最終的な見直し。言葉遣いで、ジェンダーや関係性、社会的地位や年齢といった背景がもろにわかってしまうから、日本語の話し言葉は難しい。でも、芝居の脚本としては東京の先生に褒めていただいたバージョン1よりさらに向上したと思う。見直しが終わったら、Y君にプロの役者の視点で読んでコメントしてもらって、最終バージョンに仕上げて、翻訳の部分は完了。問題はその先の売り込みだけど、ある程度のつてもあることだし、大胆不敵のひとがんばりで行くっきゃないな。訳者(ワタシ)の名前は、英語名前だと違和感を持たれるんじゃないかと思って、日本名としても通用するファーストネームだけを使ってみることにしようかな。小説とかじゃないんだから、芝居をする人たちが使う台本なんだから、実際に上演されることになってポスターを作るとしたら、その方がおもしろそうだという気がするんだけどね。ま、それはまだまだ先の話・・・。
この作品は音楽を通して喪失感や挫折感を癒して、不運や不幸が奪った人生を取り戻すと言うもので、突然の事故で夫と子供を亡くしてひとりになった女性にエスターが重なり、さらには愛する息子の病死で悲嘆のどん底にあった友だちの姿が重なり、もしかしたらクルーズ中のあの突然の出来事でカレシを失って、ひとりで誰もいない家に帰って来たかもしれなかった自分のことまで連想して、さらには女性の開放感を渇望する気持の根底にある夫婦の形にまで思いを馳せて、しまいには結婚式の「死が2人を別つまで」という誓いがいつかは必ず現実になるのだということを実感したりして、ほんとにもう考えること、学ぶことが多くて、ワタシ自身の人生もこの年になってやっと視野が開けたような気がする。やって良かった。愛する人や夢を失って喪失感や挫折感と闘っている日本の人たちにぜひ観てもらいたいな。じゃ、次のステップ、がんばろうっと。