9月27日(金曜日)。🌧☁⛅。ゆうべ最後の時間変更で1時間戻したので、また5時半には目が覚めてしまった。外は雨。生まれ故郷の釧路港に接岸するのは7時だから、港に入るのは6時半くらいかな。カレシも6時には起き出してしまったので、さっさと身づくろいをして、カメラを持って10階デッキへ。夜の間にかなりの雨が降ったようで、プールのあるデッキはびしょびしょ。その上の11階デッキはもっとびしょびしょで、雨を避けられるところを探して歩きながら、近づいてくるわが故郷にカメラを向けてシャッターを押しまくり。赤い航路標識を通り過ぎて、丘の上に灯台の光が見えたときは、昔は野太い霧笛で有名だった釧路崎灯台のすぐ近く(灯台は米町2丁目、我が家は4丁目)で育ったワタシはさすがに感動しちゃった。停泊している海上保安庁の巡視船の横を通ってしずしずと進んでいくと、雨に煙る幣舞橋が見えて来た。うん、帰って来たよ、私のふるさと。
接岸を見届けて船室に戻って、J子に着いたよぉとテキストを飛ばしたら、すぐに「何時ごろ降りてくる?」と返信。そこが微妙なところなんだけど、入国管理があって、ツアーに出る人たちが優先されるからどんなに早くても9時過ぎだなあ。続けて「雨が降ってるから傘を持ってってあげるね」。うん、降ってるなあ。でも、ベランダから見える岸壁には白いテントがいくつか並んで、観光バスが数台。とりあえずラ・テラッツァに降りて朝食。そのうちJ子から「ターミナルに来たよ」というテキストが来たのでベランダに出て見たら、あ、ターミナルの前に止めた車から降りて傘をさして船の方へ歩いてくる人がいる。手を振ったらすぐにワタシの名前を呼んできたので、ワタシも手をメガホンにしてJ子の名前を呼んで、船と岸壁の間で8年ぶりの再会。「車の中で待ってるよ」というので、4階デッキの受付に行ったら、ツアー組が終わってその他組の番になったらデッキに関係なく列に並んでいいと言ってくれたので、そのまま下船できるように支度をしてロビーへ。待つこと数分で受け付けのスタッフが「並んでいいですよ」と知らせてくれて、それっと劇場の中へ。日本の入国審査に時間がかかるのは外国のパスポートだと指紋と顔写真を撮るからかな。乗客630人余の中で日本のパスポートを持っている人はほんの数人いるかいないかだろうから、時間がかかるはずだ。審査を通過したことを占めるステッカーをキーカードに張ってもらって、いよいよ下船。結局は10時過ぎ・・・。
おおい、とうとう来たよぉ~
雨が土砂降りになったり、小やみになったりする中を、J子の軽自動車でしばらく懐かしいところを走ってから、「まなぼっと」という円形の不思議な建物に着いて、まずは(晴れた日には阿寒の山々が見えるという)10階の展望台に上がって故郷の街並みを見渡してから、ランチをする9階の「まいづる」というレストランへ。ユリちゃんとケイ子ちゃん、ユミ子ちゃんがいて、恵庭から来てくれるヒデ子ちゃんは大雨で列車が1時間以上遅れているということ。(最近のJRはちょっとした雨や風で列車を止めてしまうらしい。)釧路に着いたらユリちゃんが迎えに行くことになって、まずは揃っている顔ぶれでランチ。戦後の昭和の子供が子供でいられた時代の思い出あれこれに花を咲かせてにぎやかなこと。東栄小学校1年3組で出会ったのは70年前なのに、いまだに会うときのうまで仲良く遊んでいたような感覚になるのは、釧路という霧深く、経済的にも厳しかった土地で一番霧が深い地域で自然に助け合って暮らしていて培われた純粋なやさしさがみんなの中に今でもしっかり根を張っているからだと思う。
子供のころよじ登った米町公園の啄木歌碑
私達が食べ終わる頃にヒデ子ちゃんが到着。入って来た時にすぐにわかった。どっちもきかん気でよく喧嘩をしたっけ。でも、あの頃の子供の喧嘩は他愛のないものですぐにけろっと仲直りしていた気がする。ランチの後でサーバーのお姉さんに記念写真を撮ってもらって、ユリちゃんとユミちゃんはボランティアで働いている芸術館のギフトショップに戻り、私たちとヒデ子ちゃんはJ子の車で子供時代を過ごした古いエリアをドライブ。市の歴史研究家で啄木ツアーのガイドもやるというJ子は次々と同級生たちが住んでいた家やその跡を指摘してくれて、なっつかしぃ~。小学校はとっくに廃校だし、崖っぷちの中学校は解体されて、空き地の向こうに残っているのはワタシがいつも頬杖をついて眺めていた「空と海と水平線」だけ。ワタシが釧路を出たのは1964年の夏だったから、うは、ちょうど60年かあ。芸術館に着いてみると船はすぐそこ。ユリちゃんが恵庭に帰るヒデ子ちゃんを駅まで送って行き、ワタシは帰って来るのを待っている間にギフトショップでおみやげを買い、J子と私たちは船が停泊している岸壁まで歩いて行って、しばらくして仕事を終えたユリちゃんとユミちゃんが合流しておしゃべり。出港の見送りイベントの準備が始まったので、船に戻って船室のベランダと岸壁の間で(携帯で話しながら)おいとま。午後5時半過ぎから北陽高校のプラスバンドの演奏があり、静かに岸壁を離れた船は広い所で回転して船首を太平洋に向けてしずしず。ワタシは赤い航路標識灯を過ぎて外海に出るまでベランダで遠くなって行くふるさとを眺めていたのだった。
盛大な見送り・・・
さよなら、幣舞橋
見送りありがとう
ふるさとがだんだん遠くなって行って・・・
港の外へ~また会う日まで
接岸を見届けて船室に戻って、J子に着いたよぉとテキストを飛ばしたら、すぐに「何時ごろ降りてくる?」と返信。そこが微妙なところなんだけど、入国管理があって、ツアーに出る人たちが優先されるからどんなに早くても9時過ぎだなあ。続けて「雨が降ってるから傘を持ってってあげるね」。うん、降ってるなあ。でも、ベランダから見える岸壁には白いテントがいくつか並んで、観光バスが数台。とりあえずラ・テラッツァに降りて朝食。そのうちJ子から「ターミナルに来たよ」というテキストが来たのでベランダに出て見たら、あ、ターミナルの前に止めた車から降りて傘をさして船の方へ歩いてくる人がいる。手を振ったらすぐにワタシの名前を呼んできたので、ワタシも手をメガホンにしてJ子の名前を呼んで、船と岸壁の間で8年ぶりの再会。「車の中で待ってるよ」というので、4階デッキの受付に行ったら、ツアー組が終わってその他組の番になったらデッキに関係なく列に並んでいいと言ってくれたので、そのまま下船できるように支度をしてロビーへ。待つこと数分で受け付けのスタッフが「並んでいいですよ」と知らせてくれて、それっと劇場の中へ。日本の入国審査に時間がかかるのは外国のパスポートだと指紋と顔写真を撮るからかな。乗客630人余の中で日本のパスポートを持っている人はほんの数人いるかいないかだろうから、時間がかかるはずだ。審査を通過したことを占めるステッカーをキーカードに張ってもらって、いよいよ下船。結局は10時過ぎ・・・。
おおい、とうとう来たよぉ~
雨が土砂降りになったり、小やみになったりする中を、J子の軽自動車でしばらく懐かしいところを走ってから、「まなぼっと」という円形の不思議な建物に着いて、まずは(晴れた日には阿寒の山々が見えるという)10階の展望台に上がって故郷の街並みを見渡してから、ランチをする9階の「まいづる」というレストランへ。ユリちゃんとケイ子ちゃん、ユミ子ちゃんがいて、恵庭から来てくれるヒデ子ちゃんは大雨で列車が1時間以上遅れているということ。(最近のJRはちょっとした雨や風で列車を止めてしまうらしい。)釧路に着いたらユリちゃんが迎えに行くことになって、まずは揃っている顔ぶれでランチ。戦後の昭和の子供が子供でいられた時代の思い出あれこれに花を咲かせてにぎやかなこと。東栄小学校1年3組で出会ったのは70年前なのに、いまだに会うときのうまで仲良く遊んでいたような感覚になるのは、釧路という霧深く、経済的にも厳しかった土地で一番霧が深い地域で自然に助け合って暮らしていて培われた純粋なやさしさがみんなの中に今でもしっかり根を張っているからだと思う。
子供のころよじ登った米町公園の啄木歌碑
私達が食べ終わる頃にヒデ子ちゃんが到着。入って来た時にすぐにわかった。どっちもきかん気でよく喧嘩をしたっけ。でも、あの頃の子供の喧嘩は他愛のないものですぐにけろっと仲直りしていた気がする。ランチの後でサーバーのお姉さんに記念写真を撮ってもらって、ユリちゃんとユミちゃんはボランティアで働いている芸術館のギフトショップに戻り、私たちとヒデ子ちゃんはJ子の車で子供時代を過ごした古いエリアをドライブ。市の歴史研究家で啄木ツアーのガイドもやるというJ子は次々と同級生たちが住んでいた家やその跡を指摘してくれて、なっつかしぃ~。小学校はとっくに廃校だし、崖っぷちの中学校は解体されて、空き地の向こうに残っているのはワタシがいつも頬杖をついて眺めていた「空と海と水平線」だけ。ワタシが釧路を出たのは1964年の夏だったから、うは、ちょうど60年かあ。芸術館に着いてみると船はすぐそこ。ユリちゃんが恵庭に帰るヒデ子ちゃんを駅まで送って行き、ワタシは帰って来るのを待っている間にギフトショップでおみやげを買い、J子と私たちは船が停泊している岸壁まで歩いて行って、しばらくして仕事を終えたユリちゃんとユミちゃんが合流しておしゃべり。出港の見送りイベントの準備が始まったので、船に戻って船室のベランダと岸壁の間で(携帯で話しながら)おいとま。午後5時半過ぎから北陽高校のプラスバンドの演奏があり、静かに岸壁を離れた船は広い所で回転して船首を太平洋に向けてしずしず。ワタシは赤い航路標識灯を過ぎて外海に出るまでベランダで遠くなって行くふるさとを眺めていたのだった。
盛大な見送り・・・
さよなら、幣舞橋
見送りありがとう
ふるさとがだんだん遠くなって行って・・・
港の外へ~また会う日まで
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