らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

駄菓子 Vol.1

2008年03月02日 22時39分57秒 | 雑記
 子供の頃(小学生時代)学校近くの駄菓子屋兼文房具屋さんによく行っていた。私の子供の頃、昭和40年代はまだ駄菓子屋さんが結構あって、おじいさんやおばあさんが一人で経営しているような小さい店があちこちにあった。今みたいに塾に通う子供も少なくて、放課後は友達みんなで店の前でうろちょろしていた。お小遣いは、もちろん少ないのでコーラなどの空き瓶を拾ったり、古新聞をかき集めてお金に替えていたような記憶がある。毎日友達と瓶を拾って、一人100円くらいにはなっていたのだろう。そのお金で面子を買ったりして遊んでいたが、遊べば当然お腹もへるので駄菓子というものをよく食べた。

 美味しいんだけど量の少ないお菓子。あまり美味しくないんだけど量が多いお菓子。いつもより瓶が大量に拾えたら高級なお菓子。色々有った。

 当時好きだった駄菓子はこれ。
     
「あんずボー」~このビニールの袋を歯で噛み切って、甘しょっぱい果肉を歯で引き出しながら食べる。(この表現は食べた事が有る人しかわからないだろうな)。文章が下手なだけ・・・・・・。

 お金があるときはこれ。
     
「すもも漬」~楊枝で穴を開けて、酸っぱい汁を飲んでからビニールのふたを開けて、すももの果肉を食べる。種は夜ご飯まで、口に入れて舐めている。子供の頃、こんな美味しいものが世の中にあるんだと思っていたが、母親に舌が真っ赤になるから食べてはだめと言われ、それ以来食べていなかった。しかし30歳を越えた時に一度見つけて食べた事が有る。食べる事が出来ないしろものだった・・・・・・・・。子供と大人の味覚って全然違うのに気づいた。

 反対に貧乏なときはこれ。
     
「梅ジャム」~これは、ソースせんべいなどにつけて食べるやつだけど、お金がないときはこのジャムだけ買ってなめてた。これしか買えないときは、少し友達より惨めだった。


 こんな安い駄菓子一つ一つが子供達に夢とか希望とか与えてたんだからすごい事なんだと思う。(大袈裟か?)毎日100円玉握りしめて駄菓子屋のおばちゃんに「これちょうだぁ~い」と言う時のわくわく感はもう味わえないもの。

 良い時代だったな。最近コンビニでもこの手のお菓子売ってるけど、やっぱり何かが少し違うもんな。100円玉があんなに価値があった時代はないもの。
コメント (2)
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