らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

新庄市民文化会館

2008年11月28日 23時52分43秒 | 山形交響楽団
 本日は阪哲朗指揮山形交響楽団の演奏会が、新庄市民文化会館でありました。

 昭和63年に発行された読売新聞山形支局~あうん社による「どれみふぁ奮戦記」に新庄市民文化会館についての記述があります。

 昭和49年山形響創立間もない頃、創立者村川千秋氏は山形県内各地に足を運んでその売り込みに懸命になっていたそうです。その中で、山形響の演奏会をさせてくれと新庄青年会議所に営業に行き、演奏会を勝ち取った経緯が説明されています。

 その後、新庄青年会議所のメンバーが中心になって「山響新庄友の会」が設立されて、同年7月に新庄で初めての定期演奏会が実現しました。

 新庄市では、十数年ぶりの生のオーケストラ演奏となって、新庄市中央公民館は満員の1000人を越す聴衆で埋め尽くされたそうです。こうした「友の会」は酒田市や鶴岡市でも結成されましたが自然消滅したそうです。

 山響新庄友の会はピーク時で個人350人、親子は70組にものぼっていて、年に2回の定期演奏会とクリスマスコンサートを主催していました。

 その活動の中から「もっと音響のいいホールで山形響の演奏を聴きたい」という声が高まり、市民文化会館を設立しようという市民運動まで発展していきました。

 「友の会」のメンバーは山形響の演奏会のたびに募金を募ったり、市側に建設の要望を出したりしていたそうです。

 昭和56年10月市民文化会館は現実のものとなり、こけらおとしには市民と山形響による「第九」の演奏会が行われました。

 その後、「友の会」は目的を達成したために発展的に解散しようと考えているという所で、その文は終わっています。

 「山形響が定期的に来てくれなかったら、文化会館は出来ていないのではないでしょうか。」

 「大きなコンサートはこれから市側が主催してくれると思いますし・・・・・」

 ~~~~~~~~~~~~
 本を読み返して昭和の熱い時代が感じられて、羨ましいとまで思いました。当時の人達はすごいです。 
 
 現状として市側の財政悪化にともなって、山形響の新庄演奏会は年々行えないようになってきてしまいました。本日の演奏会は、第44回新庄市芸術祭事業の一環として、新庄市教育委員会と山響コンサート実行委員会によって主催されました。

 上記のような経緯で建設された新庄市民文化会館で演奏会を行える事は、我々山形響の団員にとって名誉な事で、今後新たな歴史(関係)が築かれてゆくことを切に願います。

 本日の演奏会は演奏していても大変楽しむ事が出来ました。ご来場のお客様、スタッフのみなさまありがとうございました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする