らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

司馬遼太郎「義経」

2010年10月17日 23時52分37秒 | 読書
 老眼問題を抱えているため新潮文庫をいったん諦めて、文集文庫の本に手を出していました。活字が少し大きいのです。今月の上旬に山形響で東北電力主催による音楽鑑賞教室ツア~に行きました。ちょうど読んでいた「義経」の小説の舞台より少々北ですが、みちのくの秋を感じながら読書できたのは、良い気分でした。

     

 私の読書は日本の歴史に興味を持っていますので、歴史小説が中心になります。

 統計を取ったわけではないのですが、日本の歴史ブ~ムのランキングで言えば「幕末」・「戦国時代」の順番のような気がします。本屋さんに行くと幕末関連の本が棚を占領しています。しかし、「龍馬伝」の舞台となっている幕末や戦国時代の歴史に関しては、実は少々食傷ぎみで、奈良時代~平安時代~鎌倉時代あたりの歴史に興味を持っています。なので、この「義経」は大変興味深く読む事が出来ました。

 上の写真の宿の次の日から八戸に滞在しました。

     

 この八戸城跡に「義経」と関係があるものがあります。

 「弁慶石」です。

     

 (社)八戸観光協会による説明書きには以下のように書いてありました。
「この地方には、源九諸判官義経が平泉を脱出し、北へ向かったという語り伝えがあり、八戸市内にも義経の北行にまつわる伝説を裏づける多くの地名や品々が残っている。これらの紹介が歴史ロマン散策の資となることを願って市内伝説の足跡十六ヶ所に案内板を設置した。
 三八城山と弁慶石
 義経が、高館の御所から見渡して、馬淵川の東の野原を京ヶ原と名付け、また京ヶ原の北の州先を京ヶ崎と命名したのが、今の三八城山である。足下のこの大きな石は、弁慶石と呼ばれ、昔は境内南側のコブシの木のあたりに置かれていたという。 石のところどころが、人間の大きな足型のようにくぼんでいるのが、力自慢の弁慶が岩にしるした足型だといわれている。」

 東北旅行しながらの「義経」読破は、なかなか良いタイミングでした。この小説の良いところは、活躍した義経が頼朝に追い込まれて、亡くなるまでの逃避行の記述が少ない所です。彼の活躍が大部分なので、暗い気持ちにあまりならずにすみました。

 また関連の小説でもあったら読んでみようと思っています。今考えているのは、平家物語とか源氏物語とか、高校の時以来の古文読みに少し興味がわいてきました。

 と歴史ロマンにしたっていたのですが、今日から京都の方へ1週間ばかり演奏旅行で、来週は東北~秋田~青森、再来週は栃木と、随分忙しいスケジュールが待っています。京都の街でも歩きましょうかね・・・・。地図を見ていると結局幕末関連施設にぶち当たりそうな所に滞在予定です。汗。
コメント
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