らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

感覚と言葉

2019年11月17日 23時59分59秒 | ヴィオラ
 ヴィオラを教えるようになって、もう何十年も経っていて、プロアマ何十人か教えてきた。

 何年経っても、なかなか克服できないと思っているのが、感覚を言葉で説明すること。

 生徒にこの曲練習してきて!と課題を出して、生徒が一生懸命仕上げてきた演奏に対して、音程がリズムがと色々と言うことは出来る。(むしろそんな駄目出しのようなレッスンは一番手抜きで楽だと私は思っている)。時間が無いとき、こちらに余裕が無い時、レッスンの間隔が開いてしまった時などは、生徒に自覚を持たせる意味でもわざとたくさんの駄目出しをするときもある。

 人の事を指摘するのは元々楽なことで、ではどうしたらその音楽が生き生きと流れ出すかを教えることは、遙かに難しい。

 レッスン中、子ども達には飽きないように、色々とたとえ話や情景の話をするときもあるが、それはアマチュアの音楽には効果的なこともある。

 プロ志向の人に、そういう話をしても良いが、ただ気持ちを込めて!音楽的に!と言ったところで、具体的にどこをどう変えれば良いのか?生徒側はたくさん迷うと思う。私も学生の時はそういう一人だったから・・・・・。

 音楽は数学と違って、答えは一つでは無く、何を感じ、どう表現するかに面白みがあって、音符を並べただけでは、作業としか言えない。音楽にするにはプラスアルファが必要なんだけど、それが経験(人生も演奏歴も色んな事)からくる感覚なんだと思う。

 私の感覚が正しくて、別の人が感じる感覚は非!と言うことでは無く、どちらも音楽の答えなのが、音楽の面白いところ。

 生徒達には、たくさんの感覚の引き出しを所有してもらいと、常々思っているのだけれど。

 この感覚を持てというのは、言葉で簡単に説明できないのが、もどかしいところ。

 今のこの部分はさぁ〜こういう感覚で演奏するのが良いと思うのだけれど、弓の使う場所はここで、弓の速度はこれくらいで、弓圧はこれくらいで、左手の指圧はこれくらい!もしかしたら別の指で、楽器はこう構えて、目線はこうで!細かく言うことは出来るけど、そんなことをいちいち考えてたら音楽は死んでしまうし・・・・・・。

 何年経っても教えるのは難しい。
 

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