Miles Davis / In A Silent Way ( 米 Columbia CS 9875 )
このアルバムを聴いて、ギル・エヴァンスの音楽を連想できる人が果たしてどれだけいるだろうか。 でも、私にはこの音楽が鳴っている38分間はずっと
ギル・エヴァンスの姿が目の前に浮かんでしまう。 気の弱そうな、人生に疲れたような、それでいて心優しい表情のあの姿を。
マイルスがここでフェンダー・ローズを取り入れたのは、ギル・エヴァンスのヴォイシングをスモール・バンドで出したかったからだ。 そのためには今までの
アコースティック・ピアノでは無理で、もっとたくさんの響きが出せる楽器がどうしても必要だった。 だから2台のエレピ、オルガン、エレキ・ギターという
4つの電化楽器が必要だっただけで、別に奇を衒った訳でも何でもなく、ただ自分の頭の中で鳴り響いている音楽を再現するのに必要な手段をとっただけ。
これはもうほとんどモーツァルトが父親に宛てて書いた手紙の内容と一致している。
このアルバムは1969年に録音されているが、その頃の音楽の世界はどんな感じだったかというと、まずこの年はウッドストックが開かれた。 そして
レッド・ツェッペリンがセカンドアルバムを、ローリング・ストーンズはレット・イット・ブリードを発表。 また、この少し前からジミ・ヘンが表舞台に現れ、
ヴェルヴェットがバナナ、ドアーズがライト・マイ・ファイアーを出していた、そういう時代だ。 そんな時に、10年前のフォー・ビートなんかをやっていたら
ただのバカだ。 ジャケット写真の中で、それまではずっとスーツを着ていたマイルスは "ネフェルティティ" でそれを脱ぎ、このアルバムで初めて
カジュアルな服に着替えた。 オシャレには人一倍気を使い、ドラッグの次に金をつぎ込んでいた高価なスーツを脱いだ、というのは象徴的だ。
でも、よく耳をすませば、マイルスのコアの部分は何も変わっていないことは明瞭にわかる。 私にはこのアルバムは、"カインド・オブ・ブルー"や
"ポーギーとベス" を別の響きがする楽器を使って新しい感覚で別の切り口で演奏しているようにしか聴こえない。 ただ、それはもちろん過去をなぞって
いるという意味ではまったくなく、マイルスはいつだってマイルスの音楽をやっている、という意味だ。 何かと何かの過渡期にあるなんて全然思えないし、
電化がどうのこうの、という話なんて的外れもいいところだと思う。
保守的なロン・カーターはエレキ・ベースを弾くのを嫌がってこのバンドを辞めようとしていたし、成長して自信を付けたハービーとトニーは独立して自分の
バンドを持ちたいと思っていたことをいち早く察したマイルスは快くそれを受け入れ、彼らを送り出そうと裏で準備をしていた。 そんな中で録音された
せいもあって、このアルバムにはとても切ない感情が全体に溢れていると思う。 マイルスのオープン・ホーンの音色もいつもより哀し気な表情がある。
ボスというのはいつだって孤独で切ないのだ。