Duke Ellington and His Orchestra / Ellington Moods ( Sesac Recordings N 2701 / 2702 )
先々週、エリントンとベイシーがまとめて放出されたというので、数日遅れだったが新宿に立ち寄った。確かに今まで見たことがないようなボリューム
で出ていて、コレクターがまとめて処分したのだろう、8割方が非公式プレスのコレクター向けレコードという内容だった。
エリントン好きの私だが、これには参った。どれを買えばいいのかさっぱりわからない。DETSという40年代のラジオ番組の音源をレコード化した
シリーズが膨大に並んでいて、どれも500円くらいだったが、こういうのはエリントン・コレクターではない私には手が出せない。ラジオ音源だから
録音は悪くないだろうけど、基本的には金太郎飴だろうし、中途半端に買ってもライブラリーとしての収まりが悪いし、消化不良感が残る。
困ったなあ、と思いながら結局拾って来たのがこのシザックの1枚だけだった。
エリントンはどのタイトルも例外なく安い。これは2,000円+消費税で、どちらかと言えば高い方だろう。今回並んでいたものの大半は3ケタだった。
識者に伺うと、エリントンのレコードはコレクターですら全容が把握できないほど種類は多いそうだから、私なんかに全貌がわかるはずはない。
シザックは放送局向けにレコードを作っていた会社だから、ここに収められた楽曲はラジオ放送の中で使えるよう演奏時間が短く、私が好むタイプの
演奏ではない。他のビッグ・バンドであれば楽曲が長いと退屈さが増すので聴くことはないけれど、エリントンの場合は長ければ長いほどいい。
2~3分間の演奏で、このビッグ・バンドの真価が発揮されるとはとても思えない。
エリントンのような柄の大きい音楽家は基本的にレコードには向かないなあと思う。同じことは、例えばロリンズにも感じる。それでしか聴くすべが
ないから我々はレコードを聴くわけだけど、それが傑作であればあるほど、欲求不満の度合いが増していく。この人たちは本当はこんなもんじゃない
はずだ、というのが直感的にわかるからだ。彼らはレコードの中ではいささか窮屈そうだ。
エリントンのレコードが膨大にリリースされ続け、コレクターが際限なく買い続けるのは、どれだけ聴いてもその実像を感じきることができない、
という無意識のフラストレーションから来ているんじゃないか、とさえ思えてくる。エリントンのレコードを買うのは難しい。