Lennie Tristano ( 米 Atlantic 1224 )
レニー・トリスターノが指導を乞う若きミュージシャンたちに何を教えていたのかはよくわかっていない。 教えを受けた者は誰もその内容を具体的には
語らなかったし、トリスターノ自身もそれを著作として残した訳でもないからだ。 でも、ドレミファソラシドというスケールやⅠ-Ⅳ-Ⅴ-Ⅴ7-Ⅰという
和声進行など、既存の西洋音楽のルールとは違う旋律観や和声の概念の芽を説いていたのは間違いないようだ。 そして、そういう自身の概念をパーカーの
吹いたフレーズが終わった後に残るあの独特の余韻や、パウエルのアドリブラインが興に乗った時に発する無重力感からヒントを得てエッセンスを抽出したのも
どうやら間違いなさそうだ。 とにかくパーカーのレコードを聴くよう弟子たちに言っていたそうだし、このアルバムの最初の4曲を聴けばそのことは簡単にわかる。
ただ、そういう抽象的な楽理に惹かれたから人々が彼の下に集まったということではなく、そこが当時の金のない貧しい若者たちが無償で音楽理論を学べる
数少ない場だったからというのが実態だったようだけど、リー・コニッツのようにきちんと修了した人もいた。 彼のトリスターノ・マナーが最も端的に
現れたのはヴァーヴの "Motion" での演奏だろう。 トリスターノがこのアルバムの "Line Up" や "East Thirty-Second" で演奏したアドリブの考え方は、
コニッツの "Motion" の中でそのまま引き継がれているし、ベースとドラムが背後で不気味に煽る中、トリスターノが和音を排して単音で切れ目のない
フレーズを紡ぐ様子とコニッツが同様の演奏をする様子がそっくりなのだ。
一般的には定着しなかったトリスターノの考え方も、自身が演奏すればさすがに見事に音楽として結実している。 ここで聴かれる4曲のピアノ曲はとても
素晴らしくて、特殊な理論や録音技法の話を持ち出す必要のないピアニズムの結晶のような音楽だと思う。 残りのコニッツの入った5曲は私には退屈で
あまり聴く気にはなれないものばかりだけれど、それでもトリスターノのヴォイシングの特殊さやアドリブ・フレーズの独特さはよくわかるので、資料としての
価値が十分あるというのは理解できる。
アルバムとして見た時に名盤と言っていいのかどうかは微妙だけれど、この中には最高の出来の音楽が含まれているというのは間違いない。