The Modern Jazz Quartet / Concorde ( Prestige PRLP 7005 )
1年程前から、そろそろMJQをもう1度ちゃんと聴き直さなきゃいけないな、と折に触れて思うようになりました。 なぜかはよくわかりません。
急にそういう想いが頭をよぎるようになったものの、レコード屋に行くといつもそんなことは忘れてしまってなかなか実現する機会がなかったのですが、
ここのところの手がすべったもの買いの中で、懐かしいタイトルを見つけました。 でも、栄光のプレスティッジのナンバー5なのに4,000円というのは、
手がすべったというよりも、それだけもう人気が無いということなのかもしれません。
初めてこれを聴いたのは、20歳の時。 当時読んでいた「名盤百選」にこれと "Django" が載っていたからです。 でも、その時は「何だ、これ?」という
感じでした。 その頃私がジャズに求めていたのはもっと荒々しく激しいもので、そういうものとは真逆の音楽に呆れてしまった。 だから、1度聴いた
だけでレコードは処分して、それ以来まったく聴かなくなってしまいました。
でも、音楽と過ごす生活も大きく一巡して、ついでに年も取ると、若い頃はダメだったのに今はすんなりと聴けるようになってくるものが出てきます。
30年振りに改めて聴くと、よくできた音楽だったんだなということがわかります。 特にこのプレスティッジ時代は題材をジャズの曲に絞っている所が
良くて、意外にジャズっぽい雰囲気が強く残っています。 以前はそういうところには全然気が付かなかった。
50年代の前半に黒人がこういう音楽をやるには相当の勇気と覚悟が必要だったはずで、嫌な思いもたくさんしたでしょう。 にもかかわらず、20年以上
ブレることなくやり続けたのはすごいことだと思うし、その尖がった姿勢は後のフリー運動なんかを先取りしていたような気すらしてきます。
誰かの真似ではない、自分だけの音楽をやるのだという強い意志がなければできないことです。 クラシックの室内楽的な、というようなところではなく、
フリージャズなんかと同じで、その生きざまのようなものを聴く音楽なんだろうなと思います。
アトランティック・レーベルに残された "Last Concert" を聴くと、聴衆が叫び声をあげて熱狂的に拍手している様子が収められています。 以前は
理解できなかったその興奮も、今はよくわかる気がします。 私も後追いながら、たくさん残された作品をぼちぼちと聴いていこうと思います。
ジャズを聴き始めたころ、すぐにこのコンボの魅力にハマり、黒っぽさとバロックさ(?)の交信(??)を楽しんでおりました。
ある日ジャズ喫茶で未聴のMJQ盤をリクエストしたときのこと。一曲目が流れ出すや露骨にイやな顔をして出ていくお客さんが数名。中にはご丁寧にジャケットを手に取り、店内のお客を一瞥してから出ていく人も。
駆け出しの私はすっかり震え上がったものでした。以来なんとなく遠ざかっておりましたが、最近日本盤を¥700で発見し、聴いてみるとやはりよかった。当時の感動がよみがえってきました。
私も少しずつゆっくり聴いていこうと思います。
でも、そういう器量の狭さは年齢と共に、音楽鑑賞の成熟度合いと共に、拡がっていくものだとも思います。今の私がそうであるように。