Yamashita Trio / Clay ( 西独 Enja 2052 )
ジャズ評論家の故副島輝人氏の「世界フリージャズ記」を読むと、日本という国の文化的感度のどうしようもない低さを思い知ることができます。
評論の記述自体はさほど深くはないけれど、日本を飛び出し、自らの足で欧米のジャズ祭に通い詰め、そこで目撃した衝撃や感じた鼓動をつぶさに
記録した文章には褪せることのない力があるし、行間にはそういう無関心さへの苛立ちが当然ある。
その中に、1977年5月に行われたドイツのメールスジャズ祭に登場した山下洋輔トリオのことが書かれています。 山下洋輔、坂田明、小山彰太の3人が
ステージに現れると、ステージ前のプレス席にはそれまでの倍の数のカメラマンが集まり、会場後方に並んだ飲食店のテント小屋は空っぽになり、
ステージ袖には出演中のミュージシャンたちが大勢群がり、このトリオを演奏を聴いていた。 そして1時間半の演奏が終わると「本当に津波のような
大拍手と大歓声」が生まれた、とその時の様子が克明に書かれています。 彼らはこの年の3大人気グループの1つだったそうで、あとの2つとは
アンソニー・ブラクストン、そしてアート・アンサンブル・オブ・シカゴ。 このトリオの海外での評価の高さがよくわかるエピソードです。
彼らがそこまでの人気を得るきっかけになったのが、このレコードにも収められることになった1974年のメールスジャズ祭に初登場した際の演奏でした。
まるでベートーヴェンの短調のピアノソナタのような荘厳な雰囲気で始まるこの演奏は、ただ激しいというだけでも衝撃的というだけでもない、何か恐ろしく
純化された気高さを感じます。 迷いのない、何かに向かって真っすぐに進んでいくところは欧州フリーとはまったく違うし、演奏能力の高さは凄まじい。
物憂げなピアノのカデンツァの終焉に森山威男のドラムが入ってくるところは鳥肌がたつ。
山下洋輔のピアノはフリーと言うにはあまりに抒情的過ぎるところがあります。 どれだけ激しく弾いても、例え鍵盤に肘打ちを喰らわしても、どこか儚い。
そういうメランコリックさを振り払おうと懸命に鍵盤に向かうけれど、それはどうしても拭いきれない。 その肘鉄はそういう自分に向けられたもので
あるかのようです。 そして、ピアノの物憂げな響きの中で、坂田明のリードは疾走する。 私には完璧な演奏に思えます。 この人の演奏にはがっかり
したことがありません。
音楽への本当の情熱を感じるこういう演奏は無条件に素晴らしいと思います。 形式的なものは、ここまでくるともはや何の意味もない。
この頃の山下トリオは凄いですね。
日本盤も西独盤も音は変わらないんじゃないかなあ、きっと。 元がデッドな録音みたいです。
まあ、問答無用ですよね、このトリオの演奏は。