Ahmad Jamal / Portfolio Of Ahmad Jamal ( 米 Argo LP 2638 )
アーマッド・ジャマルが92歳で逝去したが、SNSでは海外からの哀悼のコメントはたくさん流れているのに比して、日本からの惜しむ声は
圧倒的に少ない。チック・コリアやショーターの時とは大違いだ。それが不憫で、申し訳ないとさえ思えるので、こうしてアーマッド・ジャマル
のことを書いている。
マイルス・デイヴィスの逸話があるので、ジャズが好きなら誰しも1度はジャマルの音楽を聴いているはずだ。恭しい気持ちを抱きながら
最初はレコードを聴いただろう。ところが実際に聴いてみると、それがイメージとはかなりかけ離れていることに戸惑うことになる。
あのマイルスが一目置いたのだから、もっと深みのある凄い音楽だと思っていたのだが、というのが大方の感想だったのではないだろうか。
日本人は変に真面目というか、音楽を気軽にリラックスして聴くことが苦手だ。きちんと正座して、オーディオ・セットと正対して聴かないと
音楽を聴いた気がしないし、そうしないとアーティストに申し訳ないという罪悪感すら覚えてしまう。そして、そういう意識の延長で、
軽い音楽を軽蔑したり、いろんな要素がブレンドされた音楽は純粋じゃないと眉を顰める。
音楽家にはいろんなタイプがいて、5年とか10年という短い期間に将来の種までも含めて自分のすべてを燃焼させて燃え尽きる人がいる一方で、
早い時期に完成させた自身のスタイル(そしてそれはしばしば他の誰にも真似できない傑出したものであることが多い)を緩やかに相似させながら
息の長い音楽活動を続ける人もいる。どちらがいいとか悪いということではなく、単に生き方が違うというだけのことだが、前者のほうが芸術家
としての生き方に相応しいという価値観が相変わらずある。
アーマッド・ジャマルは軽い音楽をやった人で、デビュー時で既にその独自性は確立されており、以降はその延長線上で活動を行った。
生活している地元を離れるのを好まず、大作を作ろうという野心もなく、自身の内なる声に従って音楽を演奏した。我々レコードマニアの視界に
入るのは初期のアーゴやエピック時代だが、それらはどのアルバムを聴いても基本的には同じような内容で、特に違いがない。
音数少なく、間を大きくとった演奏で、ライヴ録音ではそれが特に顕著だ。お客はリラックスして聴いていて、会場の楽しそうな雰囲気が
よく伝わってくる。そこにはジャマルの音楽の楽しみ方のお手本が示されているような気がする。私たちもそれでいいではないか、と思う。
エヴァンスにどハマりした者且つ、管楽器が苦手だった時点では、ジャマルはとても新鮮で魅力的でした。入口はBut Not for Me。おっしゃる通り音数の少なさ。ハマりました。本記事のPortfolio Of Ahmad Jamalもあのキースジャレットがたくさん聴いたという逸話から聴き込みました。ただ、盤数を重ねる程ではないんですよね。確かに音楽と向き合う姿勢の違いですね。ジャマルは背景に流れる音楽としてはとても良いです。しかし、一番の人気作?Awakeningはどうしてもそんなに騒ぐほどとは思えず、この高値の時勢にのって手放してしまいました。
ただ、あまりの不人気さが見るに忍びなく、という感じで・・・
似たようなスタイルのレッド•ガーランドがあれだけ聴かせる作品を
作ったことを考えると、やはり何か足りないところがあったのは事実だと思います。
ただ、それでもレコードが転がっていると手が出るし、それなりに聴くので、
この人には愛着があって嫌いではないんですね、きっと。