廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

迷いのない晩年の傑作

2018年03月24日 | Jazz LP (70年代)

Joe Henderson / An Evening with Joe Henderson, Charlie Haden, Al Foster  ( 伊 Red Record RR 215 )


最初に驚かされるのは、演奏の前にこのレコードの音。 我が家の部屋の中で演奏されているみたいな音でビビってしまう。 ヘンダーソンの管の
鳴りっぷりがあまりにリアル。 チャーリー・ヘイデンの弦のビリつきがリアル。 久し振りに「原音再生」という言葉を思い出した。 
スピーカーから溢れるように流れ出す音の粒子の細かさや濡れたようなみずみずしさが他の音盤とは違う。

ヴァンガードのライヴと同様のピアノレストリオのライヴだが、一番の違いはベース。 チャーリー・ヘイデンはオーネットとやっていた頃と
比べると明らかに演奏のキレが落ちているけれど、それでも持ち味である重低音を重く響かせ続けるところは健在で、これがベースらしくて
実に気持ちがいい。
この演奏を聴くと、ロン・カーターのベースラインが如何に音程が甘くて、フレーズの腰の高さが音楽を軽いものにしているかがよくわかる。 
尤も、ヘイデンのソロパ-トは相変わらず面白味がなく、ここはカーターと大差はないように思う。

音質の張りの良さとベースの重量感とアップテンポの曲で固められているというところがヴァンガード録音とは違うため、こちらのほうが生き生き
している印象を与える。 ただ、これはヴァンガードでの演奏が評判になったからこその同様のフォーマットであり、前作よりも演奏がこなれている
のはある意味当たり前かもしれない。 前作はトリオ形式の感触を探るようなところがあったけれど、こちらではそういう用心深さは見られない。
ヘンダーソンの音には張りと艶があり、フレーズにも自信が漲っていて、このテナーサックスとしての説得力の強さはマイケル・ブレッカーなんかを
連想させる。

とてもナチュラルな現代的モダンジャズで、何の力みもなければ野心も感じない。 自分の中から滾々と湧き出てくる何かを無心でテナーの
フレーズに置き換えていくような純度の高い演奏で、これを聴いていると60年代に彼がやっていた新主流派と呼ばれたあの音楽は一体何だった
のだろうと考えてしまう。これを聴いた多くの人がジョー・ヘンダーソンの復活を確信したのは間違いなく、晩年の傑作としてこれからも
静かに語り継がれていくのだろう。そういう "本物感" を実感するレコードだった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妖しい雰囲気を放つ代表作

2018年03月24日 | Jazz LP (Milestone)

Joe Heendweson / Tetragon  ( 米 Milestone MSP 9017 )


レコーディング・キャリア上のピーク期だった頃の録音で、これを最高傑作と言う人が最も多い。 確かに、他のサルバムにはないある種非常に独特な
艶めかしく妖しい雰囲気が漂う。

このアルバムのそういうムードを作っているのがドン・フリードマンのピアノで、まるでビル・エヴァンスが弾いているような感じなのだ。 彼のリーダー作を
聴いている時は世間が言うほどエヴァンスを感じることはないけれど、ここでのフリードマンはそのフレーズといい、翳りのある表情といい、エヴァンス
そっくりで驚いてしまう。 このアルバムはフリードマン、ディ・ジョネットのセッションとケニー・バロン、ルイス・ヘイズのセッションの2種類が収録されて
いるけれど、この2つは雰囲気がまるで違う。 バロンとの曲は明るい陽が差し込む部屋、フリードマンとの曲は暗く翳りの降りた奥の間。

ディ・ジョネットのドラムもとても良くて、シンバル・ワークはトニー・ウィリアムスのようだし、リズムの作り方も凄まじい。 ロン・カーターは・・・・、
特になし。 まあ、いつも感じだ。 いずれにしても、そういうバックの演奏の素晴らしさに支えられて、このアルバムの名声は成り立っている。

ヘンダーソンのテナー自体はこのアルバムだけが突出して出来がいいということはない。 この前後のアルバムでも素晴らしいプレイはしていて、そういう
意味では完成されたスタイルを長く維持している状態にあったと思う。 この人とショーターはよく似たフレーズと吹き方をしていて、それまでのテナーの
巨人の影響下から最初に抜け出した一群の1人だけど、ショーターはキャリアの浅い時期の録音がたくさん残っているので進化の軌跡が判りやすいのに
比べて、ヘンダーソンはいきなりブルーノートに現れてリーダー作を連発し出したから、怪物としての印象が強く、そういう印象評価が先行している。

でも、この頃の彼のテナーはフレーズのラインは独特だけれど音程の幅が狭いし、音の強弱や色彩は一定なので、他のテナー奏者の演奏と比べると
派手さに欠ける印象が少しある。 偶にテキサス・テナーのような一本調子になる場面もあったりして(つまり長い小節の途中だと息切れする時がある)、
スタイルは完成しているけれど演奏力はまだ頂点を目指した登り坂にいたんじゃないだろうか。

それでも演奏レベルは並外れていて、A面最後の "The Bead Game" の4人の凄まじさは他を寄せ付けない。 これを聴くと、コルトレーン・カルテット
の演奏なんて生ぬるく思える。 フリードマンもディ・ジョネットもまるでいつもとは別人のような圧巻の演奏を聴かせる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする