[2月15日 18:30 JRさいたま新都心駅 ユタ、威吹、カンジ]
枕木が雪に隠れる線路。その上を走る1台の通勤電車が、駅のホームに滑り込んだ。
〔「さいたま新都心〜、さいたま新都心〜。ご乗車、ありがとうございます」〕
「最悪だな。中距離電車と1回もすれ違わないなんて……」
電車を降りたユタは、そんなことを呟いた。
「高崎線は運転見合わせ。宇都宮線も大幅な遅れでは、そういうことにもなるのでしょう」
カンジはユタに同調した。
カンジは師匠に合わせて着物に袴で来たが、正直スーツでも良かったような気がした。
改札口へ向かう階段を上る。
「確かに……」
そして中距離電車の発車票は、見事に『調整中』の三文字しか表示されていなかった。
「この雪の中を家に向かって……」
改札口を出て、左手の方向に向かう。つまり、西口だ。
往路の時と違い、一応は除雪されていた。
「晴れているだけまだマシだろう」
と、威吹は言うが……。
「かなり水分を含んだ雪ですので、地吹雪の心配も無いですね」
しかし、その為に足元はグチャグチャだ。
「もう雪は勘弁だよ」
「後でまた連合会に問い合わせてみましょう。ノルマが達成できたのであれば、もう大丈夫です」
「頼むよ」
その時、陸橋の下の道路を路線バスが通過していった。
「あっ、バスは走ってるんだ。あれで少しでも、家の近くまで行こう」
「その前に……何か食べるか。カンジのカレーは美味いけど、昨日食べたし」
「そうしよう」
ユタの同意に、威吹はパッと顔を明るくした。
[同日 19:00 さいたま新都心、けやきひろばの飲食店 ユタ、威吹、カンジ]
「かなりの苦行だったけど、功徳は詰めたかい?」
威吹は猪口に入れた日本酒を口に運びながら言った。
「おかげさまでね。何か、レンショーレンジャーとか来たみたいだけど……」
「あのエセ妖怪退治屋か」
「というか、もはやテロリストです」
「仏法以外にも勉強になることもあったし……。雪女郎連合会とか」
「女所帯なので、それならではの問題が山積みらしいですよ。若い者は女子校みたいな感じで、歳を取ると花柳界みたいなものになるそうです」
「カンジ、よく知ってるな」
威吹が感心と皮肉の両方を込めて言った。
「雪女に知り合いでもいるのか?」
「オレがまだ小さい頃、家に雪女が出入りしていました。恐らく、母親の知り合いだったかと」
「ふーん……」
「藤谷班長、大丈夫かな?」
「大丈夫だろ」
威吹は他人事のように言った。
「男は愚直に人間の女に盟約を迫りますが、女はあの手この手で気に入った人間の男を“獲物”にしようとしますから、気をつけてください」
「僕は大丈夫だろう。キミ達の監視付きじゃさ……」
護衛と言わず、監視と呼ぶ件。
「そういうことだな」
威吹は大きく頷いた。
「キミ達のせいで、禁欲生活だよ……」
「いや、だから何度も言ってるけど、ユタが人間の女と付き合う分には何も問題無いんだ」
「先生の仰る通りです。オレ達は何も、稲生さんに禁欲生活を望んでいるわけではない。人間の女相手であれば、むしろ奔放な生活をして頂きたいくらいです。その方が、先生にもオレにも旨味がありますので」
「ユタが望めば、ボク達は全面的に支援するよ?」
「ハーレムをお作りしましょうか。1日もあれば、稲生さんのご希望に沿うハーレムを御用意して差し上げます」
「カンジ。1日では遅い。明日の夜明けまでに作り上げるんだ」
「は、ハイ!ですが、時間的に割と厳しい……」
「お前を弟子にする時、言ったはずだ。オレがお前に課す修行は、時に厳しいものだと」
「は、ははッ!確かに!」
「2人とも、いいから!」
ユタはいい加減にしろと言わんばかりだった。
「ユタ……」
「稲生さん……」
「僕はハーレムを作りたくて、威吹の“獲物”になったわけじゃないんだ。そこんそこ、頭に入れといて」
「う、うん……」
「では、伺いますが」
カンジは少し身を乗り出した。
「カンジ、引っ込んでろ」
「まあ、いいよ。なに?」
「稲生さんが先生の“獲物”になられた理由は?まさか、先生が積んだ金に目が眩んだわけではないでしょう?」
「違うよ」
「では、何ですか?」
「……話し相手が欲しかったから」
「は?」
「威吹は知ってるけど、あの時の僕は物凄い根暗で、友達なんかいなかったんだ。僕が威吹の封印を解いた神社も、実は願掛けで通ってたんだよね」
「願掛け?」
「当時は顕正会員ですらなかったから、拝む相手は稲荷大明神だよ。『生きていてごめんなさい』とか、『誰でもいい。僕の友達になってほしい』なんて……。今からしたら、本当に僕って……」
「それが先生だったと?」
「どうせ命捨てる気満々だったんだ」
ユタは腕を捲り上げた。
「まだ、傷痕が残ってるかな」
「それは……リストカットの痕ですか」
「それだけじゃない。首を切ろうともしたから、ここにも傷痕がある」
威吹はユタの首元を指さした。
「そうでしたか。これは、差し出がましいことを聞きました」
「だから、別にいいんだよ。こうして、一緒に行動してくれるだけでさ……」
「いい“獲物”を見つけましたね、先生?」
「やっと気づいたか」
威吹は半ば呆れていた。
「特級(S級)の霊力を持ち、そして我欲の小さい人間なんて希少価値どころの騒ぎじゃないと思うがな」
「確かに……」
[同日19:15 さいたま新都心駅西口バス停 ユタ、威吹、カンジ]
食事が終わって、バス停に向かう。
「うん。一応、こんな状態でもバスは走ってるんだ」
駆動輪である後輪にはチェーンが巻かれていた。
3人はバスに乗り込んだ。
〔「お客様にお知らせ致します。本日は積雪の影響によりまして、イオン与野ショッピングセンター前までのみの運転となっております。円阿弥(えんなみ)から先へは参りませんので、ご注意ください」〕
運転手がそんな放送をする。
「え!?」
ユタは驚いた。
「……まあ、僕達はその手前で降りるからいいけど……。どういうことだろう?」
「後で様子を見に行こうかとは思いますが、恐らくは国道を横断することができない状態なのかもしれません」
「雪のせいで?」
「そう言ってはいますが、恐らくはそれもさることながら、もっと別の理由が……」
[同日19:30. 与野霧敷川バス停→ユタの家 ユタ、威吹、カンジ]
バスを降りた3人は、再び最悪な路面状態の中を歩かされることとなった。
「どーれ、あとひと踏ん張りだ」
「ハイ」
「急いで帰って、勤行やらなきゃ……」
「慌てちゃダメだよ。転んでケガでもしたら大変だ」
「分かってるよ」
いつもより倍近い時間を掛けて、やっと辿り着いた家。
「あれ?除雪されている?」
ユタの家だけが、きれいに除雪されていた。
「妖気の匂いがするな」
「ええ。しかもこの除雪の仕方、スコップなどでやったものではないですね」
「あれ、手紙が来てる?この雪なのに、郵便配達できたんだ」
ユタは感心した様子で、郵便受けの白い封筒を取り出した。
「待て、ユタ!」
「え?」
「妖気の匂いが、この封筒からも漂っています。稲生さん、こちらへ」
「あ、うん……」
ユタは封筒をカンジに渡した。
「まさか、不幸の手紙?」
「それは開けてみないと分かりませんね」
「ユタは家の中に入ってて」
「大丈夫かい?」
「雪女郎連合会からの手紙ですね」
「ユタならやらんぞ」
威吹は眉を潜めた。
(本当に獲物の取りあいなんだなぁ……)
ユタは濡れた靴と靴下を脱いだ。
「僕へのラブコールかい?」
「……違いますね」
「なに?」
「迷惑を掛けたことへの詫びが半分。家の周りの除雪は、その詫びの一環のようです」
「別にいいのに」
ユタは首を傾げた。
「もう半分は、別の用件ですね。恐らく、そちらがメインでしょう」
「何だい?」
「連合会の会員の女が藤谷氏を気に入った様子なので、是非とも関係者として御紹介願いたい、と……」
「何で僕が!?」
「その手があったか……!」
ユタは目と口を大きく開け、威吹はむしろ感心した様子だったという。
「それなら、妖狐族の獲物取扱規定にも抵触しないでしょう、と……」
「た、確かに……」
「どうします、稲生さん?」
「ゆ、ユタ。別に、ムリしなくていいんだからね。迷惑を掛けたことへ詫びって……雪中行軍させたことじゃなくて、藤谷を紹介させることへの迷惑のことだったか!」
「さて、風呂入ってさっさと休もう……」
「う、うん……。ボク、風呂沸かしてくる」
現実逃避するユタだった。
「稲生さん、勤行は?」
枕木が雪に隠れる線路。その上を走る1台の通勤電車が、駅のホームに滑り込んだ。
〔「さいたま新都心〜、さいたま新都心〜。ご乗車、ありがとうございます」〕
「最悪だな。中距離電車と1回もすれ違わないなんて……」
電車を降りたユタは、そんなことを呟いた。
「高崎線は運転見合わせ。宇都宮線も大幅な遅れでは、そういうことにもなるのでしょう」
カンジはユタに同調した。
カンジは師匠に合わせて着物に袴で来たが、正直スーツでも良かったような気がした。
改札口へ向かう階段を上る。
「確かに……」
そして中距離電車の発車票は、見事に『調整中』の三文字しか表示されていなかった。
「この雪の中を家に向かって……」
改札口を出て、左手の方向に向かう。つまり、西口だ。
往路の時と違い、一応は除雪されていた。
「晴れているだけまだマシだろう」
と、威吹は言うが……。
「かなり水分を含んだ雪ですので、地吹雪の心配も無いですね」
しかし、その為に足元はグチャグチャだ。
「もう雪は勘弁だよ」
「後でまた連合会に問い合わせてみましょう。ノルマが達成できたのであれば、もう大丈夫です」
「頼むよ」
その時、陸橋の下の道路を路線バスが通過していった。
「あっ、バスは走ってるんだ。あれで少しでも、家の近くまで行こう」
「その前に……何か食べるか。カンジのカレーは美味いけど、昨日食べたし」
「そうしよう」
ユタの同意に、威吹はパッと顔を明るくした。
[同日 19:00 さいたま新都心、けやきひろばの飲食店 ユタ、威吹、カンジ]
「かなりの苦行だったけど、功徳は詰めたかい?」
威吹は猪口に入れた日本酒を口に運びながら言った。
「おかげさまでね。何か、レンショーレンジャーとか来たみたいだけど……」
「あのエセ妖怪退治屋か」
「というか、もはやテロリストです」
「仏法以外にも勉強になることもあったし……。雪女郎連合会とか」
「女所帯なので、それならではの問題が山積みらしいですよ。若い者は女子校みたいな感じで、歳を取ると花柳界みたいなものになるそうです」
「カンジ、よく知ってるな」
威吹が感心と皮肉の両方を込めて言った。
「雪女に知り合いでもいるのか?」
「オレがまだ小さい頃、家に雪女が出入りしていました。恐らく、母親の知り合いだったかと」
「ふーん……」
「藤谷班長、大丈夫かな?」
「大丈夫だろ」
威吹は他人事のように言った。
「男は愚直に人間の女に盟約を迫りますが、女はあの手この手で気に入った人間の男を“獲物”にしようとしますから、気をつけてください」
「僕は大丈夫だろう。キミ達の監視付きじゃさ……」
護衛と言わず、監視と呼ぶ件。
「そういうことだな」
威吹は大きく頷いた。
「キミ達のせいで、禁欲生活だよ……」
「いや、だから何度も言ってるけど、ユタが人間の女と付き合う分には何も問題無いんだ」
「先生の仰る通りです。オレ達は何も、稲生さんに禁欲生活を望んでいるわけではない。人間の女相手であれば、むしろ奔放な生活をして頂きたいくらいです。その方が、先生にもオレにも旨味がありますので」
「ユタが望めば、ボク達は全面的に支援するよ?」
「ハーレムをお作りしましょうか。1日もあれば、稲生さんのご希望に沿うハーレムを御用意して差し上げます」
「カンジ。1日では遅い。明日の夜明けまでに作り上げるんだ」
「は、ハイ!ですが、時間的に割と厳しい……」
「お前を弟子にする時、言ったはずだ。オレがお前に課す修行は、時に厳しいものだと」
「は、ははッ!確かに!」
「2人とも、いいから!」
ユタはいい加減にしろと言わんばかりだった。
「ユタ……」
「稲生さん……」
「僕はハーレムを作りたくて、威吹の“獲物”になったわけじゃないんだ。そこんそこ、頭に入れといて」
「う、うん……」
「では、伺いますが」
カンジは少し身を乗り出した。
「カンジ、引っ込んでろ」
「まあ、いいよ。なに?」
「稲生さんが先生の“獲物”になられた理由は?まさか、先生が積んだ金に目が眩んだわけではないでしょう?」
「違うよ」
「では、何ですか?」
「……話し相手が欲しかったから」
「は?」
「威吹は知ってるけど、あの時の僕は物凄い根暗で、友達なんかいなかったんだ。僕が威吹の封印を解いた神社も、実は願掛けで通ってたんだよね」
「願掛け?」
「当時は顕正会員ですらなかったから、拝む相手は稲荷大明神だよ。『生きていてごめんなさい』とか、『誰でもいい。僕の友達になってほしい』なんて……。今からしたら、本当に僕って……」
「それが先生だったと?」
「どうせ命捨てる気満々だったんだ」
ユタは腕を捲り上げた。
「まだ、傷痕が残ってるかな」
「それは……リストカットの痕ですか」
「それだけじゃない。首を切ろうともしたから、ここにも傷痕がある」
威吹はユタの首元を指さした。
「そうでしたか。これは、差し出がましいことを聞きました」
「だから、別にいいんだよ。こうして、一緒に行動してくれるだけでさ……」
「いい“獲物”を見つけましたね、先生?」
「やっと気づいたか」
威吹は半ば呆れていた。
「特級(S級)の霊力を持ち、そして我欲の小さい人間なんて希少価値どころの騒ぎじゃないと思うがな」
「確かに……」
[同日19:15 さいたま新都心駅西口バス停 ユタ、威吹、カンジ]
食事が終わって、バス停に向かう。
「うん。一応、こんな状態でもバスは走ってるんだ」
駆動輪である後輪にはチェーンが巻かれていた。
3人はバスに乗り込んだ。
〔「お客様にお知らせ致します。本日は積雪の影響によりまして、イオン与野ショッピングセンター前までのみの運転となっております。円阿弥(えんなみ)から先へは参りませんので、ご注意ください」〕
運転手がそんな放送をする。
「え!?」
ユタは驚いた。
「……まあ、僕達はその手前で降りるからいいけど……。どういうことだろう?」
「後で様子を見に行こうかとは思いますが、恐らくは国道を横断することができない状態なのかもしれません」
「雪のせいで?」
「そう言ってはいますが、恐らくはそれもさることながら、もっと別の理由が……」
[同日19:30. 与野霧敷川バス停→ユタの家 ユタ、威吹、カンジ]
バスを降りた3人は、再び最悪な路面状態の中を歩かされることとなった。
「どーれ、あとひと踏ん張りだ」
「ハイ」
「急いで帰って、勤行やらなきゃ……」
「慌てちゃダメだよ。転んでケガでもしたら大変だ」
「分かってるよ」
いつもより倍近い時間を掛けて、やっと辿り着いた家。
「あれ?除雪されている?」
ユタの家だけが、きれいに除雪されていた。
「妖気の匂いがするな」
「ええ。しかもこの除雪の仕方、スコップなどでやったものではないですね」
「あれ、手紙が来てる?この雪なのに、郵便配達できたんだ」
ユタは感心した様子で、郵便受けの白い封筒を取り出した。
「待て、ユタ!」
「え?」
「妖気の匂いが、この封筒からも漂っています。稲生さん、こちらへ」
「あ、うん……」
ユタは封筒をカンジに渡した。
「まさか、不幸の手紙?」
「それは開けてみないと分かりませんね」
「ユタは家の中に入ってて」
「大丈夫かい?」
「雪女郎連合会からの手紙ですね」
「ユタならやらんぞ」
威吹は眉を潜めた。
(本当に獲物の取りあいなんだなぁ……)
ユタは濡れた靴と靴下を脱いだ。
「僕へのラブコールかい?」
「……違いますね」
「なに?」
「迷惑を掛けたことへの詫びが半分。家の周りの除雪は、その詫びの一環のようです」
「別にいいのに」
ユタは首を傾げた。
「もう半分は、別の用件ですね。恐らく、そちらがメインでしょう」
「何だい?」
「連合会の会員の女が藤谷氏を気に入った様子なので、是非とも関係者として御紹介願いたい、と……」
「何で僕が!?」
「その手があったか……!」
ユタは目と口を大きく開け、威吹はむしろ感心した様子だったという。
「それなら、妖狐族の獲物取扱規定にも抵触しないでしょう、と……」
「た、確かに……」
「どうします、稲生さん?」
「ゆ、ユタ。別に、ムリしなくていいんだからね。迷惑を掛けたことへ詫びって……雪中行軍させたことじゃなくて、藤谷を紹介させることへの迷惑のことだったか!」
「さて、風呂入ってさっさと休もう……」
「う、うん……。ボク、風呂沸かしてくる」
現実逃避するユタだった。
「稲生さん、勤行は?」