報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

バス今昔物語

2013-01-24 19:33:04 | 日記
 今日もさいたま市内散策で、バスに3回ほど乗った。会社は全て違ったが、共通していたのは全てノンステップバスだったこと。交通バリアフリー法が施行されてから久しく、今や地方でも導入していることが多い。初期のノンステは座席の配置に相当苦労したらしく、それまでのツーステップタイプと比べて極端に座席数が減少したため、せっかく乗降はしやすくなっても、譲れる席が無い(着席しているのが全て、優先席のマークに書かれている乗客達で占められている)光景もよく見られ、本末転倒ではないかとの批判も出たほどである。そこで覚えているのが、都営バス。今はもう絶滅したと思うが、ワンステップタイプにボックスシートが存在した。中距離電車にも存在する、4人用向かい合わせの座席である。座席数の減少を少しでも減らそうと苦肉の策であったのは分かるが、これまた大不評だったそうだ。そりゃそうだ。生まれて此の方、乗り物酔いしたことの無い私が唯一乗り物酔いしたのが、都バスのボックシート逆向き席だったのだから。都民でなくても、都庁にクレーム入れたくなったほどだ。ついでに国土交通省にも、交通バリアフリー法なんてつまんねー法律廃止にしろと電話したくなったほどだ。
 ああ、分かっている。障害者の気持ちなど、100%健常者が知る由もない。しかし、今では少し事情が変わって、ハートビル法と合わせて、容認派に転じている。その理由は、私が難病に罹患したからだ。私はトイレは洋式派だ。交通バリアフリー法とハートビル法では、障害者に優しくない和式トイレの設置を禁止している(確か、ある条件を満たせばOKだったと思うが、それは不明)。おかげで新型車両のトイレは、洋式が当たり前になった。
 少し、話がズレてしまったので戻そう。未だにノンステ・ワンステ共に進化し続けているということだ。

 続いて、仙台市営バスの思い出。
 私がまだ小さかった頃、ワンマンバス7割に対して、ツーマンバスが3割程度走っていた。つまり、車掌乗務のバスである。バスの車掌と言えばバスガイドみたいな女性をイメージされるだろうが、私が覚えているのは全て男性車掌だった。ツーマン運転の場合は、前扉を閉め切り(なので前扉には『しめきり』の表示がしてあった)、中扉のみで乗客を乗降させていた(なので、中扉に『出入口』の表示がしてあった)。車掌は中扉の直後に乗務し、そのスペースの所だけ運転席のような窓になっていた(当時のバスは、客席窓は上下開放式)。中扉の横には車掌が操作する扉スイッチが設置されており、発車合図ボタンも設置されていた。因みにこの車掌スイッチ、ワンマン運転が常態化した今でも存在している。ほんとほんと。日本全国でここだけじゃないか?他のバス会社でも導入されているノンステ・ワンステにも、未だに車掌スイッチが設置されているのだ。もう仙台市営バスはツーマン運転を廃止しているのに何故だろう?未だに解けない謎だ。帰省したら、ミヤギテレビでやっている夕方の某番組に投稿してみようか。因みに仙台市地下鉄もワンマン運転だが、車掌用の機器は搭載されている。これは規格(というか法律?)で決まっているため、しょうがない。実際に都営大江戸線の車両にも、沖縄都市モノレールの車両にも搭載している(出口が左側の時、運転士が車掌用の乗降スイッチを使用する場面も見られる)。しかし、バスにはそんな規格は無い。つまり、仙台市交通局オリジナルと言える。仙台市民オンブズマンの皆さん、出番ですよ。この他にも、非常口の横に乗客が車内温度について運転手にリクエストするボタンまで付いていて(これも今は昔の話)、搭載されていたことのある車両では、その痕跡を見ることができる。一見画期的な装置のように見えるが、運転手の方で、「これ以上はムリです」と断られるパターンが多かったという。地下鉄車両に搭載した方が良かったんじゃね?始発電車、暖房の効き悪いし。
 最後に、宮城交通の思い出。仙台市営と違って民間企業のこのバス会社、しかしそれでも仙台市営以上の個性的なバスを走らせていた。といっても、今でも他社からの中古車が多いからというのがその理由だが。民間企業らしく、こちらは私が小さい頃であっても、既にツーマン運転は廃止されていた。しかし、たまに方向幕(行き先表示機)が手動式のバスがまだあって、運転手がフロント上の部分と側面の経由地表示をレバーでクルクル回していたのを見ていて、子供心に大変だと思ったことがある。後ろには幕が付いていなかったようだ。
 また、宮城交通は他社から中古車を購入しても、内装まではあまりいじくらない主義らしく、内装で元々どこの会社にいたものなのかが判別できた。これは5年くらい前の話だが、帰省した時にたまたま乗ってみたら、座席のモケットに、吊り橋、西洋風のお墓、靴や中華風の門の絵などが書かれているバスだった。ふとあるバス会社の名前が浮かんだ私は、それを写メに撮り、横浜に住んでいる友人にメールした。
「このバス知ってる?」
 すると友人は、
「ああ!横浜市営バスだよ。なに?今、横浜にいるの?」
 というメールを送ってきたくらいだ。種明かしに、もっと引いた写真と外観の写真を送ったら驚いていた。つまり、吊り橋は横浜ベイブリッジ、西洋風のお墓は外人墓地、中華風の門は中華街の入口で、靴は『赤い靴』だったというわけだ。ここは元都営バスなんかも走っているので、そのうち『みんくる』が描かれた座席のバスが走るようになるかもしれない。
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他人事ではない。

2013-01-23 22:23:01 | 日記
駅員寝坊…券売機や改札動かず 東武鉄道、一部乗客足止め(産経新聞) - goo ニュース

 産経新聞ではフツーに叩き起こしたような内容になっているが、スポニチの記事では始発電車の運転士が事務室のドアをブッ壊して飛び込む騒ぎだったそうだ。普段は隣の駅などからモーニングコールを掛けるのだが、それでも起きなかったという。上福岡駅といえば急行電車も止まる、そこそこの規模の駅である。上福岡駅の駅員が東武鉄道の正社員なのか、それとも関連会社の請負(東武ステーションサービスだったか?)によるものなのか不明だが、なんともまあお粗末な騒ぎである。おおかた、夜遅くまでモバゲーかグリーでもやっていたのだろう(←ただの偏見)。
 私も泊まり勤務が主体の仕事なので、他人事ではない。弊社でも1人だけが仮眠をしている、寝坊したらソッコーでアウトになるような現場も存在する。私の勤務するビルの隣の現場も似たようなもので、大抵は定時連絡をもって起床したかどうかを判断している。電話が無かったら、こっちから電話してやって起こすというのがベタな法則だ。あまり大きな声では言えないが、電話してやっても起きなかった時がある。そんな時はどうするのか。上福岡駅みたいに、ドアぶっ壊しに行くのか。いやいやいや。幸い、こちらはビルである。しかも、隣接している。何が言いたいか。自分のビルで火災警報が作動すると、周辺のビルの防災盤に移報するようになっている。つまり、逆に自分のビルでなくても、周辺のビルの火災警報が受信されて、自分の所で警報が鳴るのだ。それを思い出した私は、すぐに手近の防火扉をわざと操作した。それだけでは、館内に火災放送が鳴らないことは知っていた(恐らく、防火扉はよく誤作動を起こすからだろう)。あくまで、警備室の中だけである。で、寝坊している警備員のビルには、仮眠室にも防災盤の子機があるので、当然それも鳴るはず。ビンゴ!それでやっと起きた。バカとハサミと防災機器は使いようだ。上福岡駅も、わざと火災報知機のボタンでも押してやったら起きたんじゃないか?まあ、当の旅客も、そこまでは考え付かなかったか。……え?それ以前に、電車自体が止まっちゃうって?うん、それもそうだな。
 そこそこの規模の駅であれば駅前に交番があるから、そこから運転指令なりに連絡をするのが1番のようだ。
 因みに旧国鉄の車掌が著した回想録では、駅員ではなく、始発電車の車掌の寝坊事故が記載されている。数十年も前の話なので、鉄道職員による寝坊事故は今に始まったことではないようだ。
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このくらいの時期に思うこと。

2013-01-21 20:07:35 | 日記
 まもなく2月を向かえようとしているが、この時期になると思い出すことがある。大体この時期に私の周囲でトラブルが激化し、これが元で私が信心を投げ打つことになったからである。私にも大いに反省するべきところはあるし、それからすれば今のところ復帰はあり得ない。あり得るとすれば、顕正会の方にである。無論、今更そこもという感じである。では、まだ歩いたことのない畑、創価学会はどうか。今更、池田名誉会長を「センセー」と崇め奉ることなどできないし、ましてや公明党の左寄りの政策に一票など投じることは断じてできない。いや、そもそも創価学会の『世界平和』の思想が左過ぎることにも反発を感じる。思想的に合っているのは、顕正会の方なのである。ウィキペディアによると、創価学会からは「時代錯誤の極右集団」とのことだ。左翼集団から見ると、やや右に寄っているだけで、極右に見えるらしい。
 そういった意味では、宗門は中道的であろう。右派の私としては、何だか物足りない気もするが、それが中道というものであるとするなら致し方ない。
 とはいうものの、近所のクリーニング屋のオジさん、学会員なんだけど、悪い人じゃないんだよなぁ……。仙台の実家の近所にある床屋のオジさん、やっぱり学会員なんだけど、悪い人じゃないんだよなぁ……。えっ?何で学会員って分かるのかって?そりゃ、店先に公明党のポスターは貼ってあるわ、待合椅子の上に聖教新聞や“潮”が置いてあったらガチじゃないのよ。でも、未だに顕正会員とは遭遇しない。たまには、他人の顕正新聞を読んでみたいものだ。
 
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たまには役に立つ顕正新聞

2013-01-21 02:33:47 | 日記
 先日、私の会社で昇進試験があった。筆記試験の中には小論文があり、課題としては、入社してから今までに遭遇した事案と対処法、それにこの仕事における将来性について述べるものである。
 最初は色々とネタを考えたのだが、ある時ふと思いついた。これって、顕正新聞の体験発表に似てはいまいかと。顕正会を辞めても未だに届く、顕正新聞。もちろん私は、自分で購読契約していない。出どころは恐らく、最後にお世話になった班長か支隊長だろう。これだけで、多重購読決定である。その体験発表には、
「私は平成(or昭和)○○年(○月)(○○教より)、入信致しました」
 と、始まる事が多い。そして、最後の締めが大切。
「無二の師匠、浅井先生に断固としてお応えして参る決意であります」
 で終わるのが、“ベタな顕正新聞の法則”である。無論このままパクる引用するのもアレなので、似たような文体で、あまりドン引きされない言い回しに変えておいた。
 全体的には顕正会の体験発表風ながらも、課題の内容に沿ったものになったと思う。

 顕正新聞も不信心な者に配達された場合、鍋敷きにされたり、害虫退治の時に【自主規制】、法華講員だと揚げ足取り破折に使用されたり、全く目を通さずに破棄されたりするのが普通だろうが、小論文の課題に流用するのは私くらいのものではないだろうか。
「バカとハサミは使いよう」とは良く言ったものだが、よもや顕正新聞も含まれているとは……。
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懐かしい組織

2013-01-19 19:31:10 | 日記
 ある顕正会員のブログで、顕正新聞の記事の紹介とその独自見解を述べる記事がある。その中に、第6隊の班長の登壇記事があり、久しぶりに見る組織に懐かしさを感じた。私は第6隊に所属していた者であり、多分今も復帰を打診すれば第6隊に戻されるものと思われる。その第6隊も、旧4隊の頃からお世話になっていた隊長が解任されて、だいぶ変わったのではなかろうか。壮年部が解体されて、そこからの転入者もいまいか。私がいた頃、6隊は成果の出ない烏合の衆ではあったが、のんびりとした雰囲気は居心地が良かった。これが、私が足掛け10年いられた理由である。宗門には1年しかいられなかったが、その理由は推して知るべしである。
 顕正会員に言いたいのは、よく法華講員は折伏の精神が無いと言うが、そんなことはない。ややもすれば、私がいた6隊より凄い。成果が出ないと、はっきり言って居心地が悪く感じるほどである。その証拠に、法華講員からの折伏から逃げているというではないか。折伏の精神が無いと思うのならば、遠慮無く叩き潰してやれば良い。(←叩き潰された人)
 顕正新聞に掲載された6隊の高校生班長と私は面識は無い。まあ、当たり前だ。私が信心していた頃、この班長は小学生~中学生で、顕正会員ではなかったからだ。よく顕正新聞では、高校生会員の学校における苦戦を美化して発表させているが、何故宗門法華講や創価学会ではトラブルが無いのかを会員達は考えないのか哀れである。折伏の精神が無いからではなくて、ちゃんと空気を読んでいるのだ。何故だか顕正会では、空気を読んで行動することを是としない。その分、戦いが遅れるからである。自分の首が絞まる方が遅延すると思うのだがね。
 でも、何だろうな。そういった意味では気持ち的にも余裕がある宗門なのに、あまり居心地が良くなかったのは……。まあ、まだ答えは出そうにない。
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