5月にお遍路の総仕上げとして和歌山県九度山町から高野山までの約22キロを、高野山町石道経由で歩いて行った。その時、山の中から車道に出て真正面に見えたのが、高野山の大門だった。大門の大きさに感動し、この景色を山友に見てもらいたくて登山を絡めた高野山巡りを計画した。
今回、高野山町石道はパスして、直接高野山の金剛峯寺近くの駐車場まで行く。駐車場に到着したのは、午前7時前だったが、すでに殆どの駐車場が満車だった。紅葉シーズンの日曜日だということもあり、早くも大勢の観光客が集まっていたのだ。それでも付近をぐるぐる回っていると霊宝館の駐車場が数台空いているのが見えたので、すかさず中に入り込む。数分後には、その駐車場も満車となってしまい、ぎりぎりセーフだった。
霊宝館から大門まで戻り、そこから今回の高野三山巡りが始まる。大門は高野山の玄関口にあり高さが約26mもある。鮮やかな朱色が宗教都市としての威厳を誇っているようだ。また、大門の金剛力士立像は、阿形像が5.46m、吽形像が5.58mあり、奈良の東大寺南大門の仁王像に次ぐ、我が国二番目の巨像となるそうだ。金剛力士の真似をして、7人全員でスタート前の記念写真を撮る。
大門をくぐり抜け振り返って見ると、その大きさが実感できる。
車道を歩き、壇上伽藍に向かう。
壇上伽藍の入口となるところに建つ「中門」。焼失と再建を繰り返してきた建物だが、開創1200年を記念する主要事業として、今年172年ぶりに再建されたばかりだ。
中門の手前右は、四天王の一人多聞天だ。宝塔と宝叉を持っている。
手前左は、持国天。真言宗のシンボルともいえる三鈷杵も持っている。
中門の裏側にも、増長天と広目天が新造され四天王がそろい踏みだ。
壇上伽藍金堂の隣にあるのが、高野山のシンボルとも言っていい根本大塔だ。その前で、高野山のマスコットキャラ「こうやくん」と記念写真を撮る。
境内を進んでいく。
沿道の落葉樹がいい具合に色づいてきていた。
金剛峯寺の正門に入る。昔は、この門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけだったそうだ。現在、我々一般人も自由に入ることができるのはありがたい。
金剛峯寺の中も拝観できるが、今回は登山が目的なので、お参りだけ済ませて先に進む。境内には、護摩炊き用の護摩木がオブジェのように積み重ねられていた。
金剛峯寺を出て、奥の院に向かう。奥の院の入り口手前には、石童丸物語の哀しい話で知られる刈萱道心(かりかやどうしん)と石童丸ゆかりの刈萱堂(かりかやどう)がある。
ここが、奥の院入口だ。弘法大師御入定の地である奥之院は、弘法大師信仰の中心聖地として高野山の聖域である。
一の橋から御廟まで約2kmの参道を歩く。杉の大木の合間に、20万基を超す墓碑や記念碑、慰霊碑が建ち並ぶ厳かな空間である。
墓碑を見ると、伊達政宗、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉などの多くの戦国武将の名前が目に入ってくる。敵味方、身分の上下の関係なく、この聖地で永遠の時を刻んでいるというのが興味深い。
御廟橋から大師御廟への霊域に入る。この橋の前で服装を整え、脱帽して礼拝し霊域に足を踏み入れることになる。橋板の裏には、仏様のシンボルである梵字が刻まれている。水面を見ると、橋板の裏の梵字が映っている。
写真撮影禁止の大師御廟を参拝したのち、英霊殿の前まで来た。ここの参道も紅葉が見事だ。
高野山の奥之院には、企業の慰霊碑も多い。ヤクルトは、容器の形をした石が正面に配置されている。他には、パナソニックや日産自動車、東洋ゴム工業、UCC上島珈琲、福助なども見かけた。企業PRもあってコーヒーカップやロケットの形をした石があって面白い。
10:00。高野山巡りが終わり、これから本来の目的である高野三山巡りが始まる。
杉木立の急坂を上ると、摩尼峠だ。
10:40。摩尼山1004mに到着する。山頂には、如意輪観音の祠があり、周囲は、樹木で囲まれ展望はない。
「2015高野三山巡り:後半」に続く。
今回、高野山町石道はパスして、直接高野山の金剛峯寺近くの駐車場まで行く。駐車場に到着したのは、午前7時前だったが、すでに殆どの駐車場が満車だった。紅葉シーズンの日曜日だということもあり、早くも大勢の観光客が集まっていたのだ。それでも付近をぐるぐる回っていると霊宝館の駐車場が数台空いているのが見えたので、すかさず中に入り込む。数分後には、その駐車場も満車となってしまい、ぎりぎりセーフだった。
霊宝館から大門まで戻り、そこから今回の高野三山巡りが始まる。大門は高野山の玄関口にあり高さが約26mもある。鮮やかな朱色が宗教都市としての威厳を誇っているようだ。また、大門の金剛力士立像は、阿形像が5.46m、吽形像が5.58mあり、奈良の東大寺南大門の仁王像に次ぐ、我が国二番目の巨像となるそうだ。金剛力士の真似をして、7人全員でスタート前の記念写真を撮る。
大門をくぐり抜け振り返って見ると、その大きさが実感できる。
車道を歩き、壇上伽藍に向かう。
壇上伽藍の入口となるところに建つ「中門」。焼失と再建を繰り返してきた建物だが、開創1200年を記念する主要事業として、今年172年ぶりに再建されたばかりだ。
中門の手前右は、四天王の一人多聞天だ。宝塔と宝叉を持っている。
手前左は、持国天。真言宗のシンボルともいえる三鈷杵も持っている。
中門の裏側にも、増長天と広目天が新造され四天王がそろい踏みだ。
壇上伽藍金堂の隣にあるのが、高野山のシンボルとも言っていい根本大塔だ。その前で、高野山のマスコットキャラ「こうやくん」と記念写真を撮る。
境内を進んでいく。
沿道の落葉樹がいい具合に色づいてきていた。
金剛峯寺の正門に入る。昔は、この門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけだったそうだ。現在、我々一般人も自由に入ることができるのはありがたい。
金剛峯寺の中も拝観できるが、今回は登山が目的なので、お参りだけ済ませて先に進む。境内には、護摩炊き用の護摩木がオブジェのように積み重ねられていた。
金剛峯寺を出て、奥の院に向かう。奥の院の入り口手前には、石童丸物語の哀しい話で知られる刈萱道心(かりかやどうしん)と石童丸ゆかりの刈萱堂(かりかやどう)がある。
ここが、奥の院入口だ。弘法大師御入定の地である奥之院は、弘法大師信仰の中心聖地として高野山の聖域である。
一の橋から御廟まで約2kmの参道を歩く。杉の大木の合間に、20万基を超す墓碑や記念碑、慰霊碑が建ち並ぶ厳かな空間である。
墓碑を見ると、伊達政宗、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉などの多くの戦国武将の名前が目に入ってくる。敵味方、身分の上下の関係なく、この聖地で永遠の時を刻んでいるというのが興味深い。
御廟橋から大師御廟への霊域に入る。この橋の前で服装を整え、脱帽して礼拝し霊域に足を踏み入れることになる。橋板の裏には、仏様のシンボルである梵字が刻まれている。水面を見ると、橋板の裏の梵字が映っている。
写真撮影禁止の大師御廟を参拝したのち、英霊殿の前まで来た。ここの参道も紅葉が見事だ。
高野山の奥之院には、企業の慰霊碑も多い。ヤクルトは、容器の形をした石が正面に配置されている。他には、パナソニックや日産自動車、東洋ゴム工業、UCC上島珈琲、福助なども見かけた。企業PRもあってコーヒーカップやロケットの形をした石があって面白い。
10:00。高野山巡りが終わり、これから本来の目的である高野三山巡りが始まる。
杉木立の急坂を上ると、摩尼峠だ。
10:40。摩尼山1004mに到着する。山頂には、如意輪観音の祠があり、周囲は、樹木で囲まれ展望はない。
「2015高野三山巡り:後半」に続く。