昨日は、島田の社会人大学の講演を聞いてきた。講師は、帝塚山大学教授の関根俊一さんだ。奈良国立博物館研究員として日本美術に関する展覧会や「正倉院展」を担当している方で、専門は、日本美術史、日本工芸史だという。
今回のテーマは、「魅惑の十一面観音巡礼」だ。仏像の話となると、正直言ってまったく知らない事ばかりである。お釈迦様、如来、菩薩、権現様とかいろんな仏像がある事は知っているが、それらがどのような位置づけで、どんなふうに区別されているのすら知らない。特に今回は、十一面観音の話ということだったが、最初は、顔が11もある観音様という事ぐらいしかわからず、それがどんな意味なのかも講演を聞いて初めて知ることが出来た。
まず、菩薩(ぼさつ)とは、仏教において一般的に成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者のことを指すという。菩薩は、修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くということで、庶民の信仰の対象になった。特に 「観音経(かんのんぎよう)」などで説かれる菩薩が観音菩薩で、衆生(しゆじよう)の声を聞き,その求めに応じて救いの手をさしのべる慈悲深い菩薩として多くの信仰を集めたという事になっている。
観音菩薩(かんのんぼさつ)は、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられたという。苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べるとされており、今回はその中の十一面観音のお話だ。ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものである。
十一面観音はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされ、女神のような容姿に造られたものが多い。多くの十一面観音像は右手を垂下して数珠を持ち、左手には蓮華を生けた花瓶を持っている姿であることが多い。そして、本面以外に前三面が菩薩としての慈悲の表情、左三面(向かって右)が怒りの表情、右三面が(向かって左)が牙をむき出す表情、背面に大笑いする表情となるのが正しい十一面観音の姿だそうだ。
仏像の姿には、いろんな意味があるというのがこの講演で少しわかった気がする。他には、東大寺のお水取りの話などもあったが、あまり馴染みがない話なので、すべてを理解することはできなかった。ただ、こういった仏像のことを理解した上で、改めて見に行くと興味が増すのは間違いないだろう。
今回のテーマは、「魅惑の十一面観音巡礼」だ。仏像の話となると、正直言ってまったく知らない事ばかりである。お釈迦様、如来、菩薩、権現様とかいろんな仏像がある事は知っているが、それらがどのような位置づけで、どんなふうに区別されているのすら知らない。特に今回は、十一面観音の話ということだったが、最初は、顔が11もある観音様という事ぐらいしかわからず、それがどんな意味なのかも講演を聞いて初めて知ることが出来た。
まず、菩薩(ぼさつ)とは、仏教において一般的に成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者のことを指すという。菩薩は、修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くということで、庶民の信仰の対象になった。特に 「観音経(かんのんぎよう)」などで説かれる菩薩が観音菩薩で、衆生(しゆじよう)の声を聞き,その求めに応じて救いの手をさしのべる慈悲深い菩薩として多くの信仰を集めたという事になっている。
観音菩薩(かんのんぼさつ)は、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられたという。苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べるとされており、今回はその中の十一面観音のお話だ。ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものである。
十一面観音はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされ、女神のような容姿に造られたものが多い。多くの十一面観音像は右手を垂下して数珠を持ち、左手には蓮華を生けた花瓶を持っている姿であることが多い。そして、本面以外に前三面が菩薩としての慈悲の表情、左三面(向かって右)が怒りの表情、右三面が(向かって左)が牙をむき出す表情、背面に大笑いする表情となるのが正しい十一面観音の姿だそうだ。
仏像の姿には、いろんな意味があるというのがこの講演で少しわかった気がする。他には、東大寺のお水取りの話などもあったが、あまり馴染みがない話なので、すべてを理解することはできなかった。ただ、こういった仏像のことを理解した上で、改めて見に行くと興味が増すのは間違いないだろう。
でも 観音菩薩様の由来はここで初めて教えて頂きました、
いっそうありがたい気がします。
手術によって声と気道を失ったSNSのお友達がいらっしゃいます、
手術の甲斐なく 真夏の発症から半年で旅立たれました。
手術後は筆談とメールで外界とのやりとりをされていましたが なくなる少し前に 最後の句を親しい方に送って来られました。
俳号は伏せますが
冬の月観音菩薩を照らしたる
いろいろな方面に大変お詳しくて知性的な方でしたが あらためて最後の句には 深い意味があったのかと 涙があふれます。
有難うございました。
興味がないと知ろうともしないので、こういった機会に興味を示すことによって知識が増すのだろうと思います。
観音菩薩の由来が分かって良かったですね。
お友達の句が、改めて心に浸みたことでしょう。