9月はまったくなかった社会人大学が、久しぶりにあった。この日の講師は、宗教思想家の“ひろさちや”さんだ。評論家であり、仏教の一般向けの解説書を“ひろさちや”のペンネームで執筆している。ペンネームの由来は、ギリシア語で愛するを意味するPhilo(フィロ)と、サンスクリット語で真理を意味するsatya(サティヤ)の造語だという。
宗教の話というと、どうも苦手でずうっと聞いていられるか心配だった。しかも、今日は早起きして仕事に行ったせいか、眠たくて仕方がなかった。しかし、宗教絡みの話ながら逆説的なユーモアある話が時折出てきて、ふと我に返って重要な話は聞くことが出来た。
基本的な話として、世の中にはいろんな人がいて、みんなそのままでいいのだという。優等生もいれば劣等生もいる。犯罪者がいるから、警察や裁判官、弁護士の仕事がある。病人がいるから、医師や看護師、薬剤師の仕事があるという。世の中には、いなくていい人はいない。どんな境遇でも、そのままで幸せになればいい。それぞれが、仏様から与えられた役割を果たして生きているから、そのままでいる事が幸せに繋がるという事だ。すなわちそれが、仏教の教えだという。
何だかわかったようで、よくわからない。多分、それが悟りを開いた人には通じることなのかもしれないが、未だに煩悩の塊のような凡人の私には、そんな思いにはなかなか到達しそうもない。死ぬまで、いろんな思いに囚われて、一喜一憂していくのだろう。
宗教の話というと、どうも苦手でずうっと聞いていられるか心配だった。しかも、今日は早起きして仕事に行ったせいか、眠たくて仕方がなかった。しかし、宗教絡みの話ながら逆説的なユーモアある話が時折出てきて、ふと我に返って重要な話は聞くことが出来た。
基本的な話として、世の中にはいろんな人がいて、みんなそのままでいいのだという。優等生もいれば劣等生もいる。犯罪者がいるから、警察や裁判官、弁護士の仕事がある。病人がいるから、医師や看護師、薬剤師の仕事があるという。世の中には、いなくていい人はいない。どんな境遇でも、そのままで幸せになればいい。それぞれが、仏様から与えられた役割を果たして生きているから、そのままでいる事が幸せに繋がるという事だ。すなわちそれが、仏教の教えだという。
何だかわかったようで、よくわからない。多分、それが悟りを開いた人には通じることなのかもしれないが、未だに煩悩の塊のような凡人の私には、そんな思いにはなかなか到達しそうもない。死ぬまで、いろんな思いに囚われて、一喜一憂していくのだろう。
なんだか見やすいし書きやすいです。
優等生も犯罪者も役割があって生きているから そのままで良い
と言う考え方は なんだか救われますね。
このごろ私のSNSでは
「良寛様」
がブレイクしちゃって 良寛様が師と仰いだ
「道元禅師」
ひいては道元の記した
「正法眼蔵」(解説書)
まで どんどんさかのぼるようになり
薦められて少し本も読みますが
私には何がなんだか判らない世界です。
今回のテンプレートは、見やすいですか。
気に行ったイラストが少なくなってきて、いくつも変えてみてこのイラストのテンプレートになりました。
良寛様の話は、以前もありましたね。
立派な人と思いますが、同じようになれるわけでもないですね。