今年も滋賀県余呉湖畔で行なわれる第7回天女の羽衣伝説ウルトラマラソンに参加してきた。金曜日の夜、北陸道神田PAに到着し車中泊後、土曜日の早朝木之本ICから余呉湖のスタート会場に向かった。この大会は周囲7キロ弱の余呉湖を10周回り、トータル70キロを走る大会である。去年に引き続き2回目の参加である。今回は、初参加のよっぴーさんと2度目となるkazukawaさんが同行した。
昨年もスタート時は雨模様で寒かったが、今年もスタート時は雨となっていた。受付を済ませ、スタート前の注意事項などを主催者から聞く。
説明を聞き終わり、スタート前の記念撮影を行なう。後方の桜の蕾は固く、昨年と比べると大幅に桜の開花が遅れていた。参加者は、昨年よりも10名ほど増え90名を越す選手が集まったそうだ。
さて、流入する川も流出する川もなく、神秘の湖として知られる余呉湖の周囲を10周するわけだが、そのコースは自然に恵まれ風光明媚な道が続く。中間地点で、少し上り坂になるくらいでほとんどフラットである。スタートは午前7時で午後5時の時点で競技終了となり、ゴール前のエイドに飲み物、食事があり、中間点前後に2箇所飲み物エイドがある。1周10キロだと長いような気がするが、5キロでは短すぎる。7キロくらいが丁度いい絶妙の距離である。
お昼くらいから晴れるという天気予報だったが、天気の回復が遅れ午後になってもあまりいい天気ではなかった。気温はずっと低く、風も吹き止まないので、スタート時から着ていたカッパを脱ぐことがほとんど出来ない。しかも、期待していた桜もほとんど咲いていないという事で、カメラを出す機会もない。9周まではエイド以外では立ち止まることもなく、ずっと普通に走っていた。それでも、最後の周回時には、記録と言う点からコース概要がわかるようカメランで走った。以下10周目で撮影したコース状況写真だ。
ゴール前のエイドで、周回毎のチェックを自分で済ませる。そして、9周したランナーには赤いた襷が掛けられ最後の周回とわかるようにして、走り出す。この頃になると、やっと天気が回復してきて晴れ間も見えていた。
エイドでは、後半になって疲れたのか椅子で休んでいるランナーが目立つようになってきていた。
1キロを過ぎた辺りから桜並木が始まる。ただ、昨年と比べるとほとんど蕾で、お花見と言う状況ではない。この辺りは風の通り道で、必ず強風に見舞われた。
2.5キロ辺りにある「岩崎の大岩」。案内板にはこう書かれている。「岩崎山には湖岸に大岩が突出し、志津ヶ岳合戦には高山重友の砦があった。古代には近くに智者寺・蓮法寺があり、これと並び岩崎の大岩として人々から崇敬されていたが道路拡張で取除かれた。この岩は当時を偲ぶなごりである」
この辺りも、蕾が膨らみ始めたくらいだ。
余呉川導先端の折り返し地点。隣の広場が桜祭り会場となっているが、この状況では、人出は期待できない。
3キロ辺りの余呉川導にある桜並木と菜の花群落。去年は桜と菜の花のコントラストが素晴らしくて何度も癒される思いがあったが、今回は物足らなさを感じながら何度も通過した。
(これは、昨年の様子)
そしてほぼ中間点にあたる地点が、今大会のタイトルにもなった「天女の羽衣伝説」の発祥の地である「天女の衣掛柳」がある場所である。この柳はマルバヤナギと言い、葉が伸びてくると見事な大木に見えてくるのだが、この状況では枯れ木にしか見えない。
衣掛柳から道を隔てた反対側には、天女の像が建てられている。
JR北陸本線の横を通り、余呉湖畔西岸に入る。西岸には集落があり、細い道をしばらく走る。6キロ地点では、「菊石姫と蛇の目玉石」と呼ばれる大岩が現れる。玉垣で囲われた大岩の上にお飾りがしてあり、神聖な雰囲気がある場所だ。案内板には、仁明天皇の頃、領主桐畑太夫の娘の菊石姫が干ばつ時に余呉湖に身を投げ、蛇身となって雨をふらせ、母に疫病の薬にと蛇の目玉を抜き取って湖中から投げたところ、石に目玉が落ちて跡が残ったので、以来この石を「蛇の目玉石」という、と書かれている。
目玉石からしばらく進むと、「槍洗いの池」がある。賤ケ岳合戦の時、柴田勝家側にいた青木新兵衛という槍の名手が血糊のついた槍を余呉湖の水で洗ったという謂れがある場所だ。
残り1キロほどになると、ゴール地点の国民宿舎「余呉湖荘」が見えてくる。もう一頑張りである。
そして、ゴール。今回は、昨年より20分ほど短縮して7時間47分ほどでゴールできた。6周目くらいまではキロ6分から6分30秒くらい、それ以降がキロ7分少々くらいで走っていた。思いのほか、調子よく走れていたようだ。ゴール後も、それほど酷いダメージがなくてホッとした。
ゴール後は、懇親会となる。続きは、《懇親会編》へ。