前回のエントリーで、EVはだれにでも作れるというのは幻想だと書いた。
一方で、今話題の自動運転車は自動運転が出来るようになれば逆にだれにでも作れるようになる。まあ、誰でもというのは誇張だが。
これはいままで何回か書いてきたが、改めてここでまとめてみる。
まず自動運転自体についてはここでは深く触れないが、高速道路のような自動車専用道を前提にすればすでに完全自動運転は完成している。一般道路の場合、想定外の対応をいかに限りなく100%にするかが課題であり、これも99.99%位で良ければもう完成している。でもここからが遠いのだ。
さて、完全自動運転(人間が運転しない)車が完成すると、そのハードウェアは現在の車とは全く異なるものになる。
まず、法定速度以上は出さないし、想定外のスピードでカーブを曲がったりすることもないので操縦安定性の要求値が格段に低くなる。さらに人間が操縦する装置は不要となり、また走行、操縦フィーリングの評価も不要になる。基本的に衝突しないので、衝突安全性の考慮(これは現在の車の設計でかなり厄介な部分)が不要となる。極論すれば、乗り心地の良いサスペンションとシート、空調、室内エンターテイメントぐらいしか差別化要素がなくなる。
これであればカーメーカのノウハウも限定的な部分でしか発揮できないし、少なくとも走行性能面では他社との差別化ができなくなる。
むしろ、シーメンスや日立といった運輸機器メーカーの出番かもしれないし、自動運転のプログラムと運営システムを構築した企業は車をそうしたメーカーに外注することも可能となる。
さらに、完全自動運転となると自分の車を保有するという欲求が消滅する可能性が高い。呼べば来る、降りれば自分で駐車場に入る車であれば、私物、例えば仕事道具やゴルフバックなど趣味の道具、をいつも積んでいたいというようなケースを除いて所有することにあまり意味がなくなる。
となると、当然カーシェアリングがメインになり、だれも車のブランドを気にしなくなる。
メーカーは自動運転オペレーターからの発注により指定の仕様の車を作ることになり、徹底的なコスト勝負にさらされるだろう。
カーメーカーが自らの地位を奪われる可能性が高いのはEVではなく、自動運転車なのだ。
一方で、今話題の自動運転車は自動運転が出来るようになれば逆にだれにでも作れるようになる。まあ、誰でもというのは誇張だが。
これはいままで何回か書いてきたが、改めてここでまとめてみる。
まず自動運転自体についてはここでは深く触れないが、高速道路のような自動車専用道を前提にすればすでに完全自動運転は完成している。一般道路の場合、想定外の対応をいかに限りなく100%にするかが課題であり、これも99.99%位で良ければもう完成している。でもここからが遠いのだ。
さて、完全自動運転(人間が運転しない)車が完成すると、そのハードウェアは現在の車とは全く異なるものになる。
まず、法定速度以上は出さないし、想定外のスピードでカーブを曲がったりすることもないので操縦安定性の要求値が格段に低くなる。さらに人間が操縦する装置は不要となり、また走行、操縦フィーリングの評価も不要になる。基本的に衝突しないので、衝突安全性の考慮(これは現在の車の設計でかなり厄介な部分)が不要となる。極論すれば、乗り心地の良いサスペンションとシート、空調、室内エンターテイメントぐらいしか差別化要素がなくなる。
これであればカーメーカのノウハウも限定的な部分でしか発揮できないし、少なくとも走行性能面では他社との差別化ができなくなる。
むしろ、シーメンスや日立といった運輸機器メーカーの出番かもしれないし、自動運転のプログラムと運営システムを構築した企業は車をそうしたメーカーに外注することも可能となる。
さらに、完全自動運転となると自分の車を保有するという欲求が消滅する可能性が高い。呼べば来る、降りれば自分で駐車場に入る車であれば、私物、例えば仕事道具やゴルフバックなど趣味の道具、をいつも積んでいたいというようなケースを除いて所有することにあまり意味がなくなる。
となると、当然カーシェアリングがメインになり、だれも車のブランドを気にしなくなる。
メーカーは自動運転オペレーターからの発注により指定の仕様の車を作ることになり、徹底的なコスト勝負にさらされるだろう。
カーメーカーが自らの地位を奪われる可能性が高いのはEVではなく、自動運転車なのだ。