たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

(続)鉱毒の爪痕を残して 足尾の町

2020年08月02日 | 心に残る思い出の山

続き

縮みの和紙が見つからず困っていたので、その和紙と町中で購入したスイカとリンゴを手に玄関を開けると、にこやかに白石さんが私達を迎えてくれた。 心の中を覗かれている様な2年前の目の鋭さが私達を快く受け入れてくれる目に変わっていたのが嬉しかった。

人形をつくるきっかけは、かじか荘近くの工房で和紙人形作りを町の活動の一環として行う事を知り参加申し込みをしたのだが御主人が脳梗塞で倒れ断念しなければならなくなった為、浮世絵からヒントを得て独自で人形作りを始めた話・・・

何処から嗅ぎつけたか東京・三越から営業マンがやって来て「是非デパートで個展を」と話を持ちかけられた話・・・かなり盛況だったとの事だが白石さんは会期中、一度も見に行かなかったとの事。勝手に持って行って勝手に持って来てくれただけだったと言う。

幻の烏饅頭の話・・・ 

白石さんのお父様は銅山で働き、お母様はお饅頭を作って生計を立てていた。或る日、山に行った帰り、付いて来たカラスに餌付けをしている内、住み着く様になり近所の人の案で饅頭を烏饅頭として売り出す事にした。東京のデパートへ出したり結構、繁盛したらしいがお母さまが亡くなられたのを境にお饅頭づくりを打ち止めにした。 今、その作り方を知っているのは手伝っていた白石さんだけだそうだ。 因みにその烏饅頭、餡の入っているみたらし団子の大判の様なものらしい。

足尾の町の人口が年々減少している話・・・・・銅山は閉鎖、農作物も育たない、これと言った特産物も無い孤島の様な足尾の町が目に見えて衰退して行く事は止めようがない様だ。そう言えば先ほど路地を歩いた時、かなりの空き家が目に留まったものだった。

私達は長い時間、白石さんの話に耳を傾けた。

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「気に入ったお人形が有ったら、どうぞお持ちください」思いがけない言葉だった。「そんな気持ちで来た訳ではないですから」と辞退したが「私ももう80歳、娘達は興味を示さないしTさんの様に人形を心からから大切にして下さる方に差し上げたいのです」その目は真剣だった。 2体を選ぶと「お嫌でなければ、これもどうぞ」とオリジナルの最新作を出し結局複雑な気持ちで3体を戴く事になった。

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白石さんの家の玄関を出た後も「足尾は寂れるばかりです」と言った言葉が妙に耳に残って離れない。とは言え住めば都、私達の目には見えない安らぎだってきっと有るに違いない。そう思わない事にはやりきれなさが残る足尾の町を人形と帰りがけに戴いたお手製のキャラブキを胸に抱え駐車場に戻った。

私は未だ鉱山館には行っていないが鉱毒の恐ろしさを語る物が館内に有るならば、それよりも先ず備前楯山に登り周囲の鉱毒に侵された山々を見、そして足尾の町を歩いてみるべきではないだろうか。

 社宅跡地

翌日、雄さんは会社で足尾の町を出たがらない白石さんの為に足尾に人形館を建ててやれないものか真剣に考えていたそうだ、が無力な私達である。今、私達が白石さんにしてあげられる事は頂いたお人形を大切に保管する事ぐらいしかない。

後にこの棚を作った事を知らせると「良い家にお嫁に行った」と大いに喜んで下さりお礼にと自作の能面を送って下さったのでした。

コメント (18)
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