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復元された碓氷郡役所
明治11年開庁した郡役所は明治43年に焼失。翌年の44年、再建された際、有名な中山道安中杉並木の杉が10本切られ用材として用いられたそうです(その杉並木を描いた参勤交代の絵)
大正15年になるとこの役所も廃止となります。その後は農業会や地方事務所他が使用しましたが昭和48年に全てが移転し空き家となった翌年、県は土地家屋とも安中市に贈与し現在に至っております。
県内に在る郡役所で残っているのは、この碓氷郡役所だけと言う事ですから貴重な遺産ですね。
ここには中山道を描いた真田重吉氏の絵が常設展示されておりますが撮影禁止の為、写す事は出来ませんでした。
郡役所に隣接して建つロマネスク様式の安中教会(新島襄記念会堂)。現在も日曜日のミサは行われていますが見学には予約が必要との事でこの日、門は閉ざされておりました(大正7年に建立)
県では最初のキリスト教会であり、同時に日本人の手に寄り創立された日本で最初のキリスト教会です。新島襄は函館から海外脱出しアメリカでキリスト教に入信しボストンの教会で接手礼を受け1874年、キリスト教主義学校設立のため帰国した襄は父母の住む安中に赴き伝道活動を行います。藩校造士館や龍昌寺を会場にした時には各寺の住職がこぞって講義に出向いたと言う事ですから、一寸した見ものだった事でしょう。
柏木氏は安中教会第四代牧師です。向かいに氏の義圓書斎が残されておりますが写真を写すのを忘れました。氏の墓は椿の巨木がある西廣寺(前回アップ)の一角に婦人と共に眠っております。
このポンプ、私が子供の頃、家にも有ったっけ
この一帯の通りを大名小路と呼んでいる様です。お城は現在小学校になっておりますが地図を見ますと敵の侵入を防ぐ為の堀や鍵型の路地が今でも残っている事に気付きます。
因みにこの建物が安中城です。時代からして箕輪城もこの様な建物では無かったかと想像されます。コメント欄はお休みします。
ポンプ懐かしいですね。
こちら近くに今でも3ヶ所あったと
思います。
勿論現役なんですが、飲み水には
適さないらしく、もっぱら夏の
打ち水や防火用に使用するようです。
それにしても懐かしいですね。
ありがとうございました😊
懐かしいですね~
5回くらい持ち手を上下すると漸く水が出て来ると言う方式でしたよね。
そして、あの頃は地下水だったので夏は冷たく冬は温かく感じましたよね。
お近くで今でも使われているとは凄いです。
打ち水や防火用に使えたら助かりますね。