続き
朝食は急かされもせず気楽だった。今朝も納豆が出たり家庭的な献立である。棚に富士を背にして俳優・大木実(おおき・みのる)に似た先代の写真。富士を眺める長谷川恒夫さんの写真が有りそれぞれ線香の煙が揺れていた。一言二言、説明すると隣の部屋へ行きテレビを観ているので話好きでは無いのだろうと思っていたのだが話をして見ればそんな事は無かった。
先代は終戦後、帰国するとこの宿を受け継ぐと共に富士に魅せられ以来、時々の姿をカメラに納め写真集を出版していたそうで棚から数冊のそれを見せて下さった。「中村さんも写真を撮られるのですか?」とお聞きすると版画や絵を手掛けているとの事。
長谷川恒夫さんは前述した屏風岩を練習場に、ここを定宿としていたらしい。話は尽きなかったが未だ山頂を踏んでいないので席を立つと慌てて隣の部屋へ行き持って来た物は中村さんが描かれた三つ峠の絵葉書だった(冒頭の写真)
ザックは小屋に預けカチンカチンに凍った地面を踏んで開運山頂上へ。「今日は暖かい」と中村さんは仰っていたが(足元を見れば素足)山頂は吹き付ける風が冷たくカメラを持つ手が悴む。雄さんの言葉をかりればカネングリンでそう永いは出来ない状態で直ぐに山頂を辞したが何よりも嬉しかったのは富士は勿論、南アルプス連山、八ヶ岳、丹沢の山並みが実によく見えた事である。三つ峠山は三座同定の教科書と言えようか。
宿泊した三つ峠山荘
左から赤石岳 悪沢・小河内・塩見
観音岳・甲斐駒・大岩山
霊峰富士 右に小さく大室山、その右に足和田山~毛無山
奥秩父の山並み
「雪の三つ峠山もいいですよ、是非またお出かけ下さい」と玄関先まで出て見送って下さった中村さんにお礼を言って往時休んだ八十八大師の広場で一息入れ後は出発点迄一気に下った。体調不良で苦しめられた往路も良く寝られたせいか思ったより楽に戻る事が出来た。私達が間違えた道の入り口には「危険・入るな」の工事の看板が置かれていた。思い出の山を綴ったものですしお忙しい時期でも有りますのでコメントはどうぞ無理をなさらずに。